自分らしく最幸の人生を創造する生き方のススメ

高卒、性別違和、田舎の実家暮らしだった私が、本当の自分で生きると決めて、やりたいことしかやってはいけないルールのもとに行動に移した記録。得意なことはライフデザイン。本当の望みを実現するために、自分の本音を知っていくこと。それさえわかれば、勝手に道は開いてゆける。

嫌いなものを嫌いと受け入れていくこと

自分の望む世界を軽やかに実現していくために

「闇を受け入れること」っていうことは

大切なポイントだと思うんだけど


これまで、

ずっと大きな感違いをしていたみたい

 


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「闇を受け入れる」って

「嫌いなものを嫌いでなくするように努力していくこと」と思ってたけど


・・・全然、違ったw




以前の私の考え方では、

嫌いなものへの反応は

自分の投影だと思っていて、


それはもちろん間違いないんだけど、


その抵抗が大きいほど

 

真摯に向き合い反応を取り除いていけば

より統合を促進し人間として成長できる


魂がどんどん磨かれると信じていて


自らわざわざハードルの高いことに挑戦したり

心地良いと感じる人だけでなく

 

みんなが避けるような人とも

深く関わったりすることで道を追求してきたりして


わざわざ苦しもうとするから

 

よく、修行僧みたいだねとか言われて 笑



その信念は、

あるときまでは役に立っていたけど

今はもう役に立たなくなったなと

 

あるときに気づいた

 

 
なぜなら、


自分らしく最高に幸せな人生の世界観を

デザインしていくためには


自分が心地良いと感じるものを

しっかりと認識し

【選択していくこと】が大切だと心底実感したから

 

 
好きがあれば嫌いもあるのは当たり前であって


好きを知るためには

対照的に

 

自分が何に対して嫌いを感じているのかも

自分でちゃんと把握していることが大切だとわかったから


嫌いという感情を排除しようとせず

それを宝に変えられることを知って


全部にYesを言うことが

必ずしも善意ではないことが

だんだんとわかってきた


理想論では、多分

 

聖人君子にでもなりたかったんだろうなw

 

嫌いを感じる自分を受け入れていなかった

 

 
でも

これは感覚レベルの話だから

どう感じるかって段階で

すべてに対して"快"を感じるなんて

 

絶対に無理な話で


"不快"な感覚をないことにして

感覚を閉ざしていると


どんどん本音がわからなくなってくる


本音がわからない

わかろうとしないということは

自分の人生の舵取りを放棄しているのと同じで


自分が何者かを見失って

 

人生そのものが

不正直さと嘘にまみれてくる


3次元の世界では、

ものごとは、いつも表裏一体で

あらゆる側面を持ってるのは当たり前


嫌いなものがあるのは

 

むしろ健全なことなのだ


と開き直ったのだ


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嫌いなものに抵抗することと
嫌いなものを嫌いと受け入れることは違う
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前提として


自分が好きと感じるものも

自分が嫌いと感じるものも


それを自分がどう感じようと


その存在 、

そのもの自体の価値は変わらないし

本来、影響を与えられない



存在レベルでいえば

その対象が何であれ

 

それはそれで完璧なのだということ



問題なのは


自分がそれを嫌いと感じることに対して

 

内なる裁判官が


「(それを)嫌いと感じてはいけない」


とジャッジしている場合・・

 

 

そこには【抵抗】のエネルギーが生じてくる


「〜してはいけない(不許可)」は

いつだって苦しみの元となる

 

 
どうして嫌いと感じてはいけないのか?


その裏には、


「冷たい人間にはなりたくない」

「道徳的に正しくありたい」

「善人でありたい」


という欲求や必要性が存在する


また、自分が嫌われたくないという

恐れがあるのかもしれない


何かに許可を出せないときというのは、

 

たいてい

もし、それを許可してしまったときには、

「自己の存在価値が危ぶまれる」と感じているのだ


思考は、

絶対になりたくない自分にならないために

それを避けようとブレーキを踏む


しかし、

自分が何かを嫌いなこと(ハートの感覚)を

頭が受け入れない限り

その苦しみは持続する


ハートが嫌いなものを

いくら頭で好きになろうとしても


それは、

到底好きにはなれないものなのだ・・


少なくとも、

「頭がハートを従わせることは、

感覚を死なせること以外には不可能」

ということは言える

 

それは、生きながら死んでるのと同じだ

 

  

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自分の感覚に好きや嫌いがあっていい
〜ハートに思考を従わせる〜
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自分の感覚

特に、嫌いと感じる感情や感覚を

ニュートラルに認めることは

真に闇を引き受けることに値する


ニュートラルに認めている状態とは、

 

「あ〜、私はこれが嫌なんだ」

と気づいている状態のこと


闇を引き受けることは

その存在を否定せず

その存在と共存するということ

 
嫌いという感情自体も

無くしたり

抵抗する必要はないのだけど、


自分が嫌な人間になりたくないために

嫌いな感情を認めなかったり

自分の正しさを主張しようとすると

 

分離や葛藤が生まれ

苦しみの原因の根源としてはびこる

 

 

ここで言う闇とは、

3次元の物理世界における表と裏の

 

自分の住みたいと思う世界の裏側のことである


肉体を持つ私たちは

 

どうしたって生と死が存在するように

光と闇を完全に分けて存在することはできない


闇を無くそうと努力して

 

外側から光を強く照らしても

無くなったと思った闇は

より一層濃くなってどこかに存在している

 

 
【抵抗】する注意がそれを強めているからだ

 

 
排除しようする行為自体は

まったくもってナンセンスである


どうせ死ねばみんな光に還るのだから

闇を消すことに時間を費やすよりも


この世界では

闇が気にならないくらい

 

 
自分にとっての光の側面を見出して

そこにフォーカスをあてていけばいいのだ


それは闇の存在

そのものを尊重したままに

まるっと包み込んでしまえることである


それが闇を引き受けて

自分が住みたいと思う世界で

幸せに生きていくためのコツに思う

  

 

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嫌いな相手よりも、抵抗している自分、
なりたくない、最低な自分を1番最初に受け入れる
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自分の感覚にウソをつき

 

偽善者を装ったり

本音を隠して不正直に振る舞うと

どうしたって不整合が生まれる


そこから創り出される現実なんて

出来損ないのアート作品ばかりだ


頭と心が一致せず混乱し

何がしたいか

どこに向かって生きているのか

しまいには、

 

立ち振る舞い方もわからなくなくなり

 

自身のあらゆる感情に葛藤する

 


自己存在価値を見出す必要性にかられて

嫌いなものに潔くNOを示していかないと


誤った意思伝達をして

相手に勘違いさせてしまうこともある


誰かを傷つけないというガイドラインのもとに

「私はこう感じる、こう思う」をしっかりと伝えていくことは

責任と愛のあるコミュニケーションだと思う

 

私はこの1年、

 

この点で反省することがとても多かった


たとえ、相手にうまく伝えられなくても、

自分が自分の本音を認識していることが

 

最も大切なことと言える

 

 

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何にYESといい、何にNOというかは、
自分の存在したい世界を選択していくこと
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何かにNOということは、


決してそれを裁いて切り捨てることではなく

 

 
その存在をありのままに認めた上で

 

"私はこう"を示していくことである

 

 

その行為は、むしろ敬意と信頼を含んでいる

 

 

本音とは裏腹に我慢したり

 

生半可に優しくしたり

 

良い人ぶるよりも

 

 

よっぽど誠実だし 

 

信頼していないとなかなかできない

 

 
その人の創り出している世界を信頼しているし

その人の強さを信頼しているからこそ言えるのだ

 

 
私が嫌だと感じることも
 
別の世界では好きだという人が必ずいる


それからもうひとつ、


闇に苦しんでいるように見える人でも

純粋な喜びからサポートできない限り

同情はそれを強めることを知り


「かわいそう」という目で見てはいけない

 

もしひとたびそうするならば


すぐさま注意をひっかけられてしまい

共依存のドラマが始まってしまう



闇を経験しているように見える人に対しては

それを乗り越えようとしている強さに

フォーカスをあてること


その相手に、

 

何か新しい視点や

 

アイディアを与えることは出来るかもしれないが

 

それを強要したり、


「自分がその相手を助けたい」というエゴは

 

叶わないことを知ることは

 

ドラマにのみこまれないための心構えの1つ

 


いま、既に

 

相手が望む現実を創り出しているという視点で

その創造にすら敬意を払うこと

 

 
そうすれば、自ずと勝手にシフトしていく

 

 

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決して聖人君子になろうとすべからず



自分の本音に対しては

 

いつだって許可を出していくほか

 

選択肢はない

 
それが自分の頭は到底追いつけない

ハイヤーマインドの望みを実現する

最短ルートであることには違いないからだ