自分らしく最幸の人生を創造する生き方のススメ

高卒、性別違和、田舎の実家暮らしだった私が、本当の自分で生きると決めて、やりたいことしかやってはいけないルールのもとに行動に移した記録。得意なことはライフデザイン。本当の望みを実現するために、自分の本音を知っていくこと。それさえわかれば、勝手に道は開いてゆける。

しつけと教育の違い

しつけとは、外部に対する適応能力を向上させようとする試みです

 

それは、褒める、賛同する、承認するというアメや、

 

叱りつけ、体罰、批難といったムチなどの手段を用いて、

 

誰かの意図に沿うように反射を調教する行為です

 

教育者は、そういったあらゆる場面で根付いた調教の呪いをときほぐし、「意思を目覚めさせること」がまず最初の役割です

 

「何がどうなったらよいか」

 

これさえ自分で腹落ちすれば、すべてを解決できる能力を人間は持っています

 

それを創造的解決とよびます

 

自分で決める態度や、本当はどうしたいかを感じる能力、そのために必要な行動をする能力を向上させる人が良き教育者です

 

賛同を得るため、また不賛同から逃れるために答えを求めるのは中毒症状です

教育者は、決して呪いをかける方であってはなりません

再び、女性性と男性性について

身体の性に関係なく、すべての人が女性性と男性性のエネルギーを持っています。
また、その割合や性質の表れ方は、それぞれ個人差があります。

男性性は、
・大きなミッション(未来)
・決断(他の選択肢を断ち切る)
・物事をカタチにする
・秩序、リーダーシップ
・理論、カテゴライズ
・役割を生きる
・結果を大切にする
・一貫性(初志貫徹)
低次元に落ちると..
パワーの乱用、コントロール、排除、他者批判

女性性は、
・今ここの小さな幸せの積み重ね
・受容、共感
・インスピレーションの享受
・混沌、多様性
・意図を手放す
・枠組をはずす
・感覚による共有
・感情の理解
・プロセスを大切にする
・変化(柔軟性)
低次元に落ちると..
※自己価値の低下、自己批判、被害者意識、塞ぎ込み

このように、男性性と女性性はまったく別の性質を持っているため、お互いの性質の違いを知らないままにわかり合おうとしても、なかなかうまくいきません。(他者との間だけでなく、自己の中でもこの葛藤が起こることもあります。例えば、目標を達成したい←→今を大切にしたい..自分はどうしたいんだろう?というように)

仕事や目標に捉われるあまり、最初の意図を見失い、パートナー間で不和が起こる話はよくあることです。

何事もそうですが、相手をわからないこと自体が分離を生むのではなく、互いの違いがあることを受け入れられないことが分離を生むのです。

白黒つけずに共存することができると、やがて、それぞれの特性を活かすことができるようになってきます。優劣や正誤でなく、互いが必要であることがわかるのです。

パートナーシップとは、恋人や夫婦の間だけのことではありません。


太陽がまっすぐ宇宙を駆け抜けられる理由、それはこちらです。太陽は男性性、惑星は女性性としてぜひ見てみてください

https://youtu.be/sTyf4n2ktuw

 

#1人1ジェンダー

クラウドファンディングスタート

訪問してくれた方へ

 

本日からクラウドファンディングのチャレンジがスタートしました..!!

 

もしよろしければ、ご賛同、支援、シェア、よろしくお願いします(^-^)


Get in touchの新しいプロジェクトが始まります。映画「私はワタシ over the rainbow」をLGBTs教材として制作、学校へ届けたい!
学校プロジェクトです。

家族にも話せない、友達や先生にも打ち明けられないで苦しんでいる子どもたちがいます。

自分のまわりにはいないから、ではなく、知ってほしいです。
どんなことを悩み、苦しんでいるのか。
LGBTsのことだから、よくわからないとか、関係ないではなく、みんなの悩みと同じように、子どもたちの悩みとして。

ぜひ、学校プロジェクト応援してください☆
Get in touchからのメッセージ、想いを読んでください🌈

https://readyfor.jp/projects/mazekoze

再び、男性性と女性性について

男性性と女性性の間には

無数のグラデーションが存在する

僕が最近着目したのは、自分の性自認をXジェンダー(男でも女でもない)と認識する人の割合が増えてきているということ

心は自由自在

今の時代に存在しているアンデンティティを図るには、以前の「男」と「女」という言語や感覚では、尺度としてあまりに乏しくなってきているのだろう

その人のアイデンティティは、当然、身体の性だけでは図れないし語れない

身体の性という枠にカテゴライズして話されることに違和感を持つ人は、もはやトランスジェンダーだけではない

..

社会においても性質の移行が始まっています

組織やグループの在り方でも、
求められているものが大きく変わろうとしています

ピラミッドは男性性
誰かカリスマがいて
少数の導いてくれる人と
多数の導いてもらう人が存在する
大切にしていることは未来
全体でひとつの決められた方向へ向かおうとする

サークルは女性性
個々の存在が何か独自のものを創造する
各々が好き得意を活かし横の関係で繋がり
今を大切にしている
全体はそれぞれの変化を見守っている

戦後の混沌とした時代に、人々が争い奪い合うことなく、快適に暮らすために求められたのは「秩序」でした

そのため、より良い方向へ導いてくれるリーダーが必要とされてきました

災害などピンチが起きたときには強いリーダーシップが求められるように、これまでは男性性が優位の時代が続いていました

良い意図で作られたピラミッドは、一時的に全体に安心をもたらしました

男性性の正体は「柱」であるとある人は言いました
安心して委ねられる存在は、心強く、敬われるものでした

しかし、社会が危機→安心→マンネリに移行し、気づいた頃にはリーダーシップという大義名分は、権力者による教え込みにすり替わっていました

導かれることに慣れた人たちも、自然と教え込みを迎合するように調教されていました

自分で「決める」という選択は、ときにその責任をとる苦痛を伴います

たとえ我慢を強いられても、誰かにさせられているフリをする方がよっぽど都合がよかったりするのです

被害者と加害者のゲームもこれに等しく

しかし、時代の移り変わりと共に、疑問を呈する人がフォーカスされ始めました

すり込まれた正しさよりも、自分の感覚の正しさを信じる人たちが現れました

彼らが切り拓いた道筋から
「もっと、自分らしく生きてもいいんじゃないか」とインスパイアされる人たちが増えてきました

これからは新たな時代の幕開け
どんな自分も「これが私だ」と胸を張って生きる時代

それが認められ、歓迎され、求められる時代
ピラミッドよりもサークルがうまくいく時代

女性性と男性性の性質の違いは
どちらが優れている
劣っているというものではない

僕のひとつのこたえとしては
自分や全体が今どこにいて
どこに向かおうとしているのか

それさえわかっていれば上出来だということ

女性性と男性性について

私たちは、身体の性に関係なく
女性性と男性性の性質をもともと持っています

人によって心地よいと感じるその割合は違います

女性性は、そのままを受容し
すべてを包み込む性質があります

たおやかさや全肯定する態度は
安心安全なスペースをつくりだし
何かが自然に変化することを可能にします

男性性は、取捨選択を決断し
カタチにしていく性質があります
リーダーシップやコミットメントは
周りの人たちをある方向性へと導きます

4次元に近づくと、分化されていた性は、統合された性となり、性別の差がなくなっていきます(地球上での肉体は3次元から離れられないので、意識の性の話となります)
無性とは、ここに属します

また、肉体にフォーカスされるほど、セクシャリティの魅力は発揮されていきます
セクシーさ、身体の性における男らしさ、女らしさを表現することができます
(身体の性が異なる場合でもそれを意図的に表現することは可能です)

セクシャリティは子宮や丹田のあたりにある情熱の源と結びついています

エネルギー状態が満たされた健全な状態であれば外側に魅力が溢れ出ますし、乱れた状態であれば、枯渇を埋めるものを外側に欲求します

女性性は内側に向かう性質があるため、自分を責めすぎてしまう傾向があります
またその態度が人を苛立たせてしまうこともあります

男性性は外側に向かう性質があるため、目的の達成のために誰かを排除したり、支配・コントロールしてしまう傾向があります

どちらがよい悪いという話ではなく
そういう性質があるというだけのことです

というわけで、どちらかの性を否定するのはもったいないです

内なる男性性と女性性の性質を豊かに活用できるようになると、魔法が起こります

インスピレーションを女性性が享受し
男性性が具現化していきます

普通ではないもの

僕が定義する「普通」とは、あるグループの中で過去の慣れ親しんだ合意が一定の割合の量を占めているものの概念のことをいう。だから当然、グループが変わると「普通」も変わる。

 

既知の合意は、ものごとの方向性や流れをスムーズに理解したり、安定と予測をもたらし、合理的に計画したり、既存のものを充実させる役割がある。
 
ただし、いろいろ事情はあるにせよ、「合意を破ってはいけない」という自分への思い込みや他者への押しつけは、人間の創造力を奪う呪いである。

未知は、人によっては恐れや脅威にもなりうるが、既知の領域にクリエイティブは存在しない。頭での理解を超えた感動や、世の中にない発明は、必ず未知からやってくる。

 
つまり、僕らの中に「普通ではないもの」を発見したときに持つべき態度は、絶望したり、恥じたり、他者を説得したり、既知を捻じ曲げようと力を加えたり、理解が得られないことへ不満を抱くことではなく(←ちなみにこれらは最も抵抗を持続させるコツ)

 

現時点で自分にしか見えていない世界観や新たな可能性を他者と分かち合う意識で表現することによって、誰ともぶつからず、その存在感を見いだすことができる。(僕が捉えている共同体感覚とはこれだ。)


既知は自ずと変化する。(力を加え続けない限り変化しない方が難しい。)

未知は、十分に認知された量をもって、新しい既知となり形成されていく。進化とはきっとそういうもの。

僕が愛するもの

僕が愛するもの
僕がときめくもの
僕が惹かれるもの
それらにできるだけ多くの注意の粒子を流すこと

それは、義務なんて存在しないこの世界での僕の唯一の仕事

きみの好きなもの
きみの愛するもの
きみの惹かれるもの
世界観、物、人、色、雰囲気、音、言葉、、

100%それを手に入れることを許すこと
自分の世界を自分の好きなものや
ときめくもので埋め尽くすこと

きみにたったひとつだけ
お願いがあるとしたらただそれだけ

僕はそれに興味なんてわかないかもしれないけど、くれぐれも、「僕のために」なんて言わないでほしい

きみでないものを取り入れて、わざわざ不純物になろうとしないでほしい

僕らが共にいる理由は、お互いが本来の自分として心地よく存在していられることだから

自分の世界を自分の好きなもので染めることを許した世界では、違うものを愛している者同士が
ぶつかるわけがないんだ

ぶつかる原因はいつだって決まっている

我慢、恐れからの賛同、感覚を閉ざした教え込みの迎合、また、自分のタブーを人に押し付けたとき

何十年も重ねた教え込みの中で
僕が愛するもののすべてをわかるようになること
それが果てしなく遠いゴールなのかもしれない

僕が愛するもの
僕がときめくもの
僕が惹かれるもの

僕の世界が100%妥協なく
それらで埋まるまで
僕の感覚を見つけだすこと

不可能だと思い込んでいたことが
もしかしたら可能かもしれないというふうに
枠の外の可能性に気づきを拡げること

そして最後に
ただ経験を受け取ること

意識的にせよ、無意識的にせよ
注意が顕現したからくりゲームを
僕らは無意識にも楽しんでいる