自分らしく最幸の人生を創造する生き方のススメ

高卒、性別違和、田舎の実家暮らしだった私が、本当の自分で生きると決めて、やりたいことしかやってはいけないルールのもとに行動に移した記録。得意なことはライフデザイン。本当の望みを実現するために、自分の本音を知っていくこと。それさえわかれば、勝手に道は開いてゆける。

真の他者奉仕とは

他者奉仕をするときに忘れてはいけないこと


それは、【自分の幸せを通して行う】こと

 

 

まつだみひろさんの提唱する

シャンパンタワーの法則でもあるように

積み重なったシャンパングラスの
1番てっぺん(自分)からシャンパンを注ぐと


うまいことその下のグラス(周り)もちゃんと満たされていきますよね

もしも、自分を満たさずに
下の方(他人)から注いでしまったらどうなるか

ちょっと想像してみてください

 

 

自分はカラカラのまま

「施すことが良いことだ」とか
「それが自分の使命」と思い込んで

善かれと思って他人にせっせと注いでいたのに

いつしか分けていた瓶の中のシャンパンもカラカラになって

人に与えられるものも枯渇してくる


すると、以前与えてもらった人は、
もらえなくなった途端に

「前はくれたのに、もうくれないのか」とか

「自分は大切にされていない」

なんて思うようになってくる


自分が満たされて
自分のグラスがシャンパンでなみなみ溢れているときには

他者に対して喜びをもって
もっと施したり、与えたり

また、

「あえて与えない」という選択も
愛をもって行えるけど


もしも自分が枯渇しているときに
そんなこと言われてしまったら


「自分の身を削ってまであなたに与えたのに!」


ていう怒りがわいてくるかもしれません 笑


人に貢献したい

社会の役に立ちたい



という欲求は、

アドラー心理学でいう
幸せの3条件のうちの1つです


アドラーの幸福の3条件は、

・自己受容(自分が好き)
・他者信頼(人を信頼できる)
・貢献感(誰かの役に立てる)

です


本来、「他者奉仕」は、

自分の幸せのために行うものです


それを忘れてしまうと

「してあげている」というエゴがムクムクと育ち

それにより、優越感を得ようとしたり

自己価値を高めたりということを

無意識にしてしまいます


それゆえに、当然
人間関係や活動の成果が歪んできます


他者奉仕は、

無理に「しなければならない」ことでもありません

たまに、強迫観念のように誰かの役に立つことを望む人がいますが

そう感じる方は、もしかしたら
自己受容が十分に足りていないのかもしれません

 

また、

無意識に罪意識を感じていて、

奉仕することで解消していこうとしているのかもしれません

 

それ自体が悪いわけではありませんが

 

自己犠牲を伴う他者奉仕は

意図が不純であるため

 

結果的に

自分も他人も傷つけてしまうことがあるのです

 

なので、

根本的な取り組みとしては、


まず何もしていない自分でも価値がある
というところから

等身大、そのままの自分を愛して、満たして
溢れた分で、喜びから分かち合うこと


これが真の他者奉仕です

 

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私は、人の根底にある良心や愛を信頼しているので、

すべての人が自分の中心に意識を向けて

 

まず自分のために生きたらいいと

本気で思っています


十分に満たされたら

勝手に自分の活かし方や

命の使い方がわかってくると信じているのです