自分らしく最幸の人生を創造する生き方のススメ

高卒、性別違和、田舎の実家暮らしだった私が、本当の自分で生きると決めて、やりたいことしかやってはいけないルールのもとに行動に移した記録。得意なことはライフデザイン。本当の望みを実現するために、自分の本音を知っていくこと。それさえわかれば、勝手に道は開いてゆける。

アーシングをしてチャクラを整える

先日、朝カフェイベントを開催して

 

早朝からみんなで小金井公園に集まり

 

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アーシングしながら

 

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真琴という楽器を使って瞑想したり

 

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LDMアドバンスクラスで習得したチャクラを整えるツールを使ってグループワークをしました

 

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すっかり整ったあとに

 

 

最後には、順ちゃんお手製の朝食をいただいて

 

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モグモグモグモグ

 

 

お絵描きも始まって

 

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絵本も読んでもらって

 

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今回、初めましての人も

 

みんなほっこり繋がって

 

自然と調和し

 

大満足で、幸せな時間を過ごしました♪

 

 

クリスタルカフェに集まってくださる皆さま 

 

いつも平和で豊かな時間を一緒に創っていただいて

 

本当にありがとうございます✨

 

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感謝〜(*^^*)

 

 

 

次回のクリスタルカフェは、8/6の浴衣撮影イベントです♪

 

定員超(+2名)のため、キャンセル待ちとなりますが、また次期開催が決まり次第お知らせさせていただきます

 

コラボイベントも面白そうだなと思ったらやっていきたいので、

 

ピンときたら、ぜひアイディア聞かせてください

手に入れた宝物

そういうわけで、私は、まったく自分のセッションには自信が持てないまま

Wワークとして、週末起業というかたちでやってはいたものの、内心、お客さんに対して

「来んな〜!!」と思っていました 笑

お申込みが入ったときには、
いつもドキドキして緊張していましたし、

貴重な時間をさいて、お金を払って(たとえ無料でも)、私のセッションを受けてもらうなんて、

恐れ多くて、とんでもなくて
来られたら困っていたからです

 

「なんでやってんだ?」
「向いてないんじゃないの?」と

 

笑われてしまいそうですが、
私は、本当に臆病者なのでした

 

 
そんな中で出会ったライフデザインメソッドは、
救世主といえる存在でした


ライフデザインメソッドのツールは、もともと、コーチ、セラピストさんたちが、セッションに活用できるように作られたものだそうです

私は、コーチなんだか、セラピストなんだか、何をしている人なんだか、自分でもよくわかりませんでしたが、

このツールを得てから、セッションをすることが、とても楽になりました

"自分が何かしている"という感覚が消えたのです

相手のハイヤーセルフと繋がり、
相手が自己との対話をするのをファシリテートする、見守り役みたいな感覚になったため


プレッシャーがなくなり、相手と、起きることすべてを信頼できるようになりました

 

私がやるべき仕事は、相手に安心・安全なスペースを与えるだけになりました

 
アドバンスクラスDay1で得られたツールをもって、無料体験セッションを募集したところ、その日のうちに11名のお申込みがありました

1ヶ月で10名以上のセッションをこなし、

3ヶ月を過ぎた頃から有料にさせていただきました

それでも継続して受けてくださる方は沢山いるほど、そのツールを使ったセッションは、お客さんの満足度が高いものでした

 

多い時で、1日に4人やっても、疲れを感じるどころか、楽しさが増すばかりでした 

もちろん、数をこなす中では、うまくいかないことや、悔しいこともありましたが、それがとても良い学びになりました

アドバンスクラスを修了した今、ようやく落ち着いて、本当に自信を持って、セッションができるようになりました

それなりの対価もしっかりと受け取れるようになりました

何より、クライアントさんに、大変喜ばれる機会が増え、成果や結果も面白いほど出てきました

 

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実は、2年前に突然、インスピレーションが降りてきて、カタチにしたいと思ったプログラムがありました

その感覚で、周知文を出したら、
「受けたい!!!」と言ってくれる人が沢山いました

しかし、心底臆病な上、中身もまだスカスカだったので、わかっているのは、その"感覚"だけでした

身につけた既存のものは、どれもその感覚や条件にあてはまらず、すべて役に立ちませんでした  

自分でメソッドを作るしかないと思っていましたが、それは本当に大変なことで、

誰か、理想的なメソッドを作ってくれないかな〜とそのとき、宇宙に投げていました

2年越しに今、アドバンスクラスで得たツールをそのプログラムにあてはめてみたら、イメージどおりの完ぺきなものが出来上がりました

もし、これがそのまま使わせていただけることになれば、私がかねてから夢に見ていた、本当にやりたかったことがカタチになるかもしれません

できるのかどうか、確認と、これからいろいろと調整していきたいと思います

人の役に立ちたいと思って始めたことなのに、初めてのクライアントさんにまんまと育てていただいた話

退職後、伊豆下田から上京し、小田急線沿いの生田駅から徒歩8分ほどのシェアハウスに住み始め

翌月には、赤坂の勝海舟屋敷跡に開かれたコーチングスクールに入学しました

そして、スクールに通い始めて3ヶ月で、初めて有料の継続クライアントが出来ました

私は、ビジネスのことは、今まで一度も学んだこもがなかったので、集客などもまったく気にしていませんでしたが

ブログとFacebookから発信すると、随分と体験コーチングのお申込みが入りました

多分ですが、ずっとやりたかったことをやり始めて、私の発する波動がワクワクしていたので、そのバイブレーションが電波を通じて伝わっていたからです

初めてのクライアントとなってくれた方は、当時の私のブログ記事を全部読んで、会う前から継続を決めてくれたそうでしたが

とにかく、とても変わった人でした

学校の先生だったのですが、現存社会や学校教育の在り方全般に真っ向から立ち向かい、

まるで世界を相手に宣戦布告でもしているかのような印象を受けました

世の中をより良くするために戦う使命を持つ、
開拓者なのだと思いました

そして、その方は男性だったのですが、
「お母さんになりたかった」と言うのでした

そして、セッションをしていると、海辺で母親が赤ちゃんにお乳をあげている風景がヴィジョンとして何度も出てくるので

その先、どうセッションを進めていいのかわからなくなることが多々ありました

スクールで習ったスキルを使って、
立ち位置を変えたり、臨場体験をしたり、
過去から未来へのタイムラインを歩いたり

いろいろ提案すると、一応はやってくれるのですが

なんだか、私に「付き合ってあげている」と言わんばかりの空気を感じてしまって

わかっているけど黙って泳がされてるような屈辱感と、どうしてよいかわからないもどかしさがありました

具体的なヴィジョンやアクションプランは出したくないという抵抗を感じて

「そんなことしなくても、もう既に、やることはやっている」と、ビッチリとセルフコーチングされたノートを見せてこられる

こんなに完璧にやってたら、もうやることはないじゃないかと、内心困り果てて

セッションをなんとか有意義なものにするために「それなら次はこうしよう、こう持っていこう」という思惑を持つと

特にそういった操作やコントロールする感じには敏感に反応されて

Skypeでは、相手との繋がりに違和感を感じたとき、不思議と電波が途切れ途切れになることがよくありました

何度もそれが頻繁に起こったので、その現象は偶然ではないことがわかりました

心で繋がって話しているときは、背中に特有のジワジワする感覚があり、Skypeの音声も画面も、ものすごくクリアなのでした


私が何か戦略を考えようとするもんなら、「何もしなくてよい」という空気を感じたので

ただ話を聴いて終わるという日もありました
何もしない日は、先方は、満足気に終わりました

 

「今日が今までで一番良かった」と言われましたが、何が良かったのかわかりませんでした

そんなセッションで、本当に満足していただけてるかは、正直わからなかったです

こちらとしては、何も出来ないセッションでお金をいただくことは、とても不安でした

話をきいて「すごいですね」と感嘆したり、「そのままでよいですよ」と承認しているのは簡単ですが、

ただ話を聴いているだけでよいのだろうか?

コーチとしては、もっとクライアントが気づいていないところを導いて、リードする必要があるのではないか?

具体的なヴィジョンやアクションプランを引き出さなくてよいのだろうか?

何より、結果を出すのがコーチの仕事じゃないのか?

 

何もしたくないなら、そもそも、この方は、なぜコーチングを受けたいんだろう??

 



最初に、なぜコーチングを受けようと思ったのかは当然聞いていました

本を執筆していることや、学校教育の改革のこと、お母さんや子どもたち向けの独自のワークショップなど

先生を辞めて、独立する意欲がある旨をおっしゃっていました

なので、私はそこに向かって一緒に歩むことが、自分の役割だと思っていました

私がその方の理想のヴィジョンを勝手に描き、それを実現するために具体的な一歩を決めようとすると

ニカ〜っと満面の笑顔を向けてくれながらも、
あてがはずれたような、残念な心の声が聞こえてきてしまうので


「また、ダメだったか〜」


というように、毎回、セッションの度に、
私は完全にお手上げ状態になるのでした

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最初の3ヶ月は、このような押し問答をただひたすら続けていただけでした

今までも、その方は、コーチを付けては、
ケンカしてやめたとおっしゃっていたので

私もそろそろ、いい加減切られるんじゃないかと思っていました

そして、何も出来ないまま、3ヶ月の期日がやってきて、いよいよ最後のセッションを迎えました

すると、意外なひと言をいただき、
思わず聞き返してしまいました


「継続をお願いします」


まさかの再継続のお申し出をいただいたのです

完全に予想してなかったので大変驚きました

またチャンスがやってきたと思い、
「今度こそ」という思いが湧いてきました

と同時に、

もがいても答えを見出せなかった3ヶ月を経て、

次の3ヶ月は、一体どうすれば良いのかわからず、喜びと焦りの気持ちが混ざっていて、なんとも複雑な思いでした

電車で移動するときも、お風呂に入っているときも、寝るときも、常に、そのクライアントさんのことで頭がいっぱいでした

どうしたら、この方に100%貢献出来るのだろう


答えを見出せないまま、

新たな3ヶ月がスタートして、改めて、
私とのセッションに何を求めているのかを伺うと

なんと、

「仲間が欲しい」とおっしゃるのでした

私は、拍子抜けしてしまいました

起業に向けてのヴィジョンを描いたり、一歩を踏み出したりということは、私に求められていたことではありませんでした

あなたのために用意した時間、100%貢献したいと願っている

そんなのもう既に、十分に仲間なんじゃないかと思いました

でも、どうやら、それはまだ仲間と思われていないことに気がつきました

難しく感じましたが、少し、糸口が見つかった気がしました


次の3ヶ月は、何もしないことに徹しました

今という繋がりにだけにフォーカスをあて、
そこからズレないようにすることに
細心の注意を払いました

 

結果を出さなければならないという執着も捨てました

 

結果を出したいという思いは

自分の立場を守るためや

私のしたいことであると知り

 

自分が欲するところでなく

相手が欲することだけにこたえるように気をつけました

すると、Skypeもクリアに繋がり、
対面でも繋がって共にいる感覚がありました

抵抗はまったくありませんでした

多くの経験を共有できました
シンクロニシティも増えました

奥さんや息子さんともお話させてくれたり
神社にお参りに行ったり

残り時間を気にすることもなく
美味しいコーヒーを飲んだり
豊かな時間を共有させてもらいました

気づいたら、3ヶ月が終わって
そこで、契約は終了となりました

私は、本当に多くの学びをいただきました

 

 
私の気づきと感謝を綴ったFacebookの投稿をみて

「卒業式の答辞を聞いたようだ」

とコメントしてくださいました

 

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してやられました、、

 

私がコーチとして導く立場だと思ってやり始めたのに

 

気づいたら、立派に一人前に育ててくださいました

 

 

そのとき、ああ、この方が本当に望んでいたことって、

 

これなんじゃないかなと気づきました

 

 
そして、その方は、今ではすっかり有名人となり、

全国でご自身のワークショップを繰り広げ

「それでいいんだよ」という教えを

背中で私に魅せ続けてくれているのでした

 

 

先生には、本当に心から感謝しています

 

どんな理由があったにせよ、しょせんすべては言い訳に過ぎない。自分の人生より優先順位の高いものなんて本当は存在しない。

市役所に勤めて9年目
 
私は、人生の岐路に立っていました
  
 
それまでも
 
自分が進むべき方向性や
 
本来やるべきことがあることに
 
うすうすは気づいていました
 
 
だけど、それは、
 
『いつか』やるものであり
 
 
それに挑戦できるだけの実力がついたら
 
生活していけるだけのお金が貯まったら
 
周りから価値を認めてもらえたら
 
家族にすべてを納得してもらえたら・・
 
 
そんな風に思っていました
 
 
しかし、
 
私が人生を変えるためには
 
ここで決断する必要がありました
 
 
年に1度だけアメリカで開催される
 
あるセミナーにどうしても参加したい
 
 
そして、今、その決断と行動をすることが、
 
今後の自分の人生を左右することを
 
直観的に理解していました
 
 
当時、私は議会事務局に配属されていました
  
 
市の予算執行、規則や条例の制定など
 
市政において極めて重要な決定機関である
 
"議会"のスムーズな進行の補助や、
 
議員さんへの接遇、議長秘書業務、
 
委員会の書記として議事録を作成することが
 
私の『やるべきこと』でした
 
 
そしてそのセミナーの日程は、 
 
2月の定例会の期間とピッタリ当たっていました
 

私は自分に与えられていた仕事の責任の重さも
 
社会人として何を優先させるべきかも
 
十分にわかっていました
  
 
自分のやろうとしていることが
 
いかにクレイジーで 
 
どれだけ自己中心的でわがままなことか
 
自分に言い聞かせました
 
 
議会事務局は、
 
ただでさえ職員の人数が少ないし
 
自分がいなかったら
 
議会の休憩の間の議員さんが飲んだコーヒーやお茶の洗い物や
 
灰皿をきれいに拭き取ること
 
課長補佐から課長への答弁補助の伝達
 
記者への対応や外部からの電話対応などに
 
あたれる人がいなくなってしまうので、
 
外部から、自分の代わりに応援に入ってもらう必要がありましたが
 
当市には、余剰要員がでるほど職員は採用していませんでした
 

自分に与えられた仕事や責務よりも
 
自分の"やりたいこと"を優先するなんて
 
とんでもないことだと思いました
 
 
もっと計画性を持って
 
仕事を辞めてからやるべきことなのではとも思いました
 
 
こんな相談を持ち出してしまったら、
 
局長や同僚を困らせてしまうし 
 
断られるに決まっているだろうと思いました
 
 
思い悩んではみたものの
 
答えは決まっていました
 
  
なので、頭は、

どのように相談するか
 
職務の代替をどうするか
 
社会人としての責任はどうとるかということを考え始めていました 

 
年末年始の長期休暇に入る前のある日

局長に相談しました
 
 
「局長、ちょっとお時間よろしいでしょうか」
 
 
議会中に私事都合で休暇をとるなんて、仕事を舐めているとしか思えない・・
 
私は相談する前に、そう思われることを承知のうえだったので、
 
こうなったら、自分の身の上を全部話そうと決意していました
 
私が抱えてきた(墓場まで誰にも言わずに持っていくつもりだった)性別違和の悩みのこと

今後、自分が本当にやりたいと思っていること
 
そのために、いまこのセミナーに参加することがどうしても必要なこと
 
そして、そのセミナーでどんなことがなされ、何が得られるかということなど、
 
市役所の人に、こんな話を正直にしたのは初めてでした
  
それまでは、こういう話は、「どうせわかってもらえない」とか、「頭のおかしいやつだ」と思われると思い込んでいたので、ほとんど話したことがありませんでした
 
とても勇気のいることでしたが、
別室で局長と2人きり
 
局長は丁寧に話を聞いてくれました
 
局長は穏やかな方だったので、怒るようなことはありませんでしたが、
 
「最初に話してくれた性別のことは、俺はよくわからなかったけど、議会中の休暇のことは、議会事務局長としては、それを許可することは出来ないな」
 
と言いました
 
私は、自分のすべてをさらけ出したのに、無駄だったことと、結果的に、休暇を承認してくれなかったことに落胆しました
 
そして、やはり、どうしても今このタイミングで、そのセミナーに参加したいという想いだけが、そのときに強く残りました

退職を決意したのも、この時でした
 

後日、もう一度、
局長に時間を作ってもらいました
 
そのとき、2月の定例会の前に退職してけじめをつけることしか、私に残された選択肢はありませんでした
 
処務規程によると30日前までに届出をすることとなっていたので、
 
約1ヶ月後に間に合う1月末をもっての退職を申し出る退職届を封筒に入れて局長に渡しました
 
果たしてそれが、責任のある行動だったかというと私にはわかりません
 
いずれにしても、普通ではない行動だと自覚はしていました
 
すると、局長は驚いた表情で
 
「ちょっと待て、なにも辞めることはないじゃないか。わかった、セミナーには行っていいから。この届出はとりあえずおれが預かる。」
 
と言ってくれました
 
その展開には、私も驚きました
 
 
あんなに難しかった議会中の休暇が、
その一瞬でとれることになりました

そのあと、
局長は私を呼び出してこう言ってくれました
 
「覚悟はよくわかった。あんなものを出されたのは、正直驚いたよ。あのあと、議長や副議長とも話して、休暇は認める方向で動いている。あとは、代替の職員については問題だが、そこは前任のKちゃんにお願いしようと思う。」
  
 
「ありがとうございます。私も、そのことについては、Kさんにお願いしようと思っていました。」
 
 
私の仕事の代わりについては、議会事務局の仕事に精通している前任者のKさんに相談しました

年齢も近く、私の前任の部署(税務課)とちょうど入れ替わりするかたちとなっていたこともあり、
 
前任者がいまどういう仕事を抱えているかや、税務課の仕事と両立しながら代わりを担ってもらえそうかをなんとなく推し量ることができました
 
無理を承知で、どうしても、今学んでおきたいことがあることを話してお願いすると、Kさんは快く受けてくださいました
  
また、局長は、そのあとこういう風に伝えてくれました
 
「1月末で退職するのは、なかったことにしてくれ。もしも、どうしても退職するのであれば、3月末にしてほしい。考え直せることならば、退職もしなくてもいい。」
 
私にとっては、とてもありがたいご提案でした
 
 
「退職をしなくてもいい」
 
 
すべての要望を叶えた上で、差し出された
この言葉には、少しだけ考えましたが、
 
すぐさま、
 
「いま、このタイミングを逃してしまったら、また随分先になるかもしれないし、この感覚の鮮度が落ちる前に、今決断する必要がある」
 
ということをハイヤーセルフが告げていました
 
肚の底から、後に引けない恐怖とドキドキが込み上げてきましたが
 
「ありがとうございます。3月末に退職する方向で、よろしくお願い致します。」
 
と、返答しました。
 

これから、未知なる大海原へ出ることになる
 
自分の冒険に対して、
いま、十分に理解してくれる人や
味方になってくれる人はいないだろう
 
たった1人で、
しかし、長く待ち望んだ
旅立ちのときを迎えたのでした
 
 
 
私は、教育委員会から本庁に移ってから、

「いつか退職するときには、庁舎を前にこのすべてに感謝して市役所を背にするんだ」
 
というイメージをいつも抱いていました
 
 
夕方の帰宅時に、庁舎を前に
 
「本当にありがとうございました」
 
と、心で言って、一礼して、
 
 
経験を積ませてもらったこと
 
給与をいただいたこと
 
学ばせてもらったこと
 
厳しくしてくれたこと
 
親切にしてくれたこと
 
 
すべてに対して、
 
胸いっぱいに感謝と共に庁舎を後にする
 
 
こういったイメージをいつも持っていました
 
 
そして、退職の当日、
 
私はそのイメージのとおり
 
感謝と共に、9年間お世話になった下田市役所をあとにしたのでした
 
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しばらくこういうことは、言えなかったのですが、
 
あのとき、自分の人生よりも、 仕事の役割を優先しなくて
 
本当に良かったと思っています
 

 
そうでなければ、 
いま東京で新しく出逢えた人たちとも
 
かけがえのない経験の数々も
 
味わうことがなかったのですから
 
もしかしたら、辞めたことを後悔するかもしれないと思ったことはありましたが
 
実際、後悔することは一度もありませんでした
 
 
もしも、あのとき私が事故にあって仕事に行けなくなっても、
 
きっと私の代わりはいたでしょう
 
 
現に、誰かに突然の不幸が起きたとしても
 
世の中は同じようにまわり
 
なんとかなってしまうのを見てきました
 
 
私のした選択は
 
決して正当化できることではないですし
 
評価されることでもないです

 
自分勝手な選択で、
 
周囲に迷惑をかけたのも事実だと思います
 
 
だけど、3年経って、

そのことで、職場が今も困ってるなんてことはないはずですし
 
職員としての代わりが入って、仕事は健全にまわっています
 
 
しかし、一方で、
 
「本来の自分で生きること」で周囲に与えられる恩恵というものは、その人にしかできないことでしょう
 
それに代われる人は1人もいないと思います
 

そう考えると
 
例えどんな理由があったにせよ
 
自分の人生よりも大切なものなんて
 
やはり存在しないのだと思うのです
 
 
 
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写真はトランクひとつで上京するとき
サプライズでお見送りしてくれた市役所の同僚たち
 
よき友人と先輩方に恵まれて、私は幸せでした

 

 


 

 

 


 

 

 
 

 

 

 

 
 



 

どんな状況からでも未来は自分で切り開くことができる。本当にやりたいことを自分に許可をすると宇宙からの祝福が待っている。

就職して3年目に、
大阪にある芸術大学の通信教育に通い始めました
 
閉鎖的な田舎で生まれ、育ち、就職した私にとって、初めて外の世界へ出たのがこのときでした
 
高校を卒業し、18歳で市役所に就職した1年目は、
人間関係に悩んで、毎日のようにトイレで泣いていました
 
父のススメで受けた公務員試験、大学受験を諦め、自分からなりたかったわけでもない職業についたうえに

誰のこともカゲで悪く言っている女の上司からは、
自分のこともかげ口叩かれていることを知っていました
 
当時は、教育委員会に配属されていて、

もう1人の男の上司からは、「先生たちが帰ったあと、夜の学校のプールに忍び込んで、一緒に泳ぐぞ」と持ちかけられ、執拗な誘いを断りきれず、そういったことに付き合うこともよくありました
 
かげ口を叩いたり、仕事のミスを私のせいにすることもあった女の上司と、
 
その上司が裏でどんなことを言っているかをわざわざ私に伝え、休みの日まで映画に誘ったり、もっと自分に甘えろと言ってくる男の上司の2人と、
 
こんなクソつまらない人たちに媚びを売り、仕事で自分の居場所を失わないようにしている自分自身には、最初からウンザリしていました
 
自分ではどうすることもできない悩みを抱えていました
 
 
しかし、そのときの人間関係の苦しみから得たことは大きくて、
 
その2人を変えることはどうせ不可能なのだから、
自分が変わるしかないと思うようになり、
 
トイレでこっそり泣いていた日々から、
少しずつ、考え方や、行動を変えていきました
 
たとえ、どんな嫌がらせをされても、

「ありがとうございます」

と返すように意識しました

感謝できる理由は、探せば何かしらあったので、
とりあえず言葉で発して、あとから理由を考えました
 
(汚い言葉を吐いたり、嫌がらせすることで、自分の身を削ってまで、私の魂を磨いてくれてありがとうございます など)
 
嫌な思いをする誘いは、しっかりと断るように心がけました
 
(私は、人の誘いを断ることが、大の苦手でした)
 
男の上司の誘いを断るようになってから、書類にハンコを押してもらえないなどの嫌がらせを受けましたが、
 
しばらく続けていると、だんだんその2人に、影響を受けなくなってきました
 
じきに、2人とも違う部署に異動して、

「あの2人は、いったいどこに行ってしまったんだろう?本当に存在していたのだろうか」

というくらい、
きれいさっぱり、私の世界から消えました
 
世界とはそういうもんなのだと
そのときにわかりました
 
いま思い返せば、
女の上司が異動するとき

振り返った2年間を感慨深く感じて
目に涙を浮かべながら
感謝の気持ちを伝えました
 
すると、その上司は、

「あきちゃん、市役所では、涙なんか流しちゃダメよ。その涙を、"甘い蜜"だと思う人たちがいっぱいいるんだからね。そういう人たちの思うツボよ。絶対ダメよ。」
 
と言われたのでした
 
この方はずっと、これからも、こういう世界に住み続けるんだろうなと思いました
 
そして、私は、もう2度と、そういう人たちには出会わない(出会えない)ことを知っていました
 
思ったとおり、私が異動して出会った市役所の人たちは、みんな、とびきり良い人たちでした
 
 
そして、人間関係で苦しんだ2年が終わる頃、
私は、課長にある相談しました
 
 
 
「仕事をしながら、大学に通わせてください」
 
 
 
すると、その課長からは、仕事に支障をきたすかもしれないという理由で「ごめんな」と断られてしまいました
  
しかし、私は、その課長が次の年に異動することを知っていたので、1年待って、
 
次の春が来る前に、大学に願書を出し、入学手続きを済ませました
 
翌年、新しく配属された課長には、
こんな風に伝えました
 
「大阪の通信制の大学に通うことにしました。夏と冬の週末には、スクーリングという面接授業があって、大阪に通うことになります。仕事を第一に優先するので、支障をきたすことはありませんが、スクーリングのために、お休みをいただくことがあるかもしれません。報告だけさせていただきます。」
 
内心、ドキドキしながら、
堂々と、まるでそれが当たり前のように言いました
 
すると、課長は、

 
「そういうのは・・・」
 
 
ドキドキドキドキドキドキ(心臓の音)
 
 
見切り発車で、さすがに判断を早まったかなと思いました
 

 
 
「そういうのは、どんどんやってください!!」
 

予想外の返事に、一瞬耳を疑いました
 
さらに続けて、こう言われました

「与えられた仕事をしているだけでなく、自分を高めるための勉学を自主的にすることは、視野を広げる、素晴らしいことだと思うので、個人的にすごく応援しますよ。もしも、電車代が足りなくなったり、何か困ったことがあれば、僕がかんぱするからね。」
 
最後の部分は、少し小声で伝えてくれました
 
 

 
 
嬉しかったです
 
 
 
小さい頃から、絵を描くことが好きでした
 
だけど、そのときの自分には、何の保証もなく、画家なんて目指すのは、とんでもないことでしたし
そんな道は、将来の選択肢にすら入れていなかったです
 
この時既に20歳、専門的な勉強もしてこなかったし、自分より絵が上手い人なんて星の数ほどいました
 
だけど、私は、絵を描くことを通して、
本質的な何かがつかめる気がしていました
そして、自分をもっと知れる気がしていました
 
何の制約もなかったら、こういう道に進んでみたいと、本当は、ずっと思っていました
  
大学に通い始めてから、いろんなことを、
スポンジのように吸収していきました
 
人は、本当にやりたいことを
我慢して、我慢して、我慢して、
飢えて、渇いて、苦しんで、
 
ある時、ひょんなきっかけで、
自分に許可を出して、
本当にやりたいことを選択できたとき、
 
水を得た魚のように飛び跳ねて、 
人から見たら、そんなことよく出来るね!!
と言われるようなことが、いとも簡単に出来たり
 
(夏と冬、毎週末、伊豆下田と大阪を夜行バスや新幹線でひと月に4往復し、着いてその日に授業を受け、夜はネットカフェやカプセルホテルに泊まり、授業が終わったらトンボ帰りで、翌朝すぐ仕事 など)
 
そういうことが、むしろ喜びの中にいるような状態で出来ていました
 


スクーリングで出逢う人たちは、通信教育なだけに年齢や職業も幅広く、18歳〜80歳くらいで、
 
中には、目をキラキラさせたおばあちゃんなんかがいたりして
 
その方が、毎朝、ゴミを拾いながら散歩してるって話を聞いたから
 
私もマネをして、駅からスクールバスを使わずにゴミを拾って学校まで歩きました

毎日のスクーリングが本当に楽しかったです
 
入学する前の年に、父と、東山魁夷氏の日本画を観て衝撃を覚え、感化されていたので、
迷わず日本画コースを専攻しました
 
岩絵の具と膠(にかわ)を絵皿に出して、左手のひらの上に絵皿を置いて、右手の中指で絵の具を溶いている時間は、とても豊かなものでした
 
絵を描くことに没頭して、何時間も経っているのに気づかず、体感覚ではほんの30分くらいに感じたり
して、あっという間に1日が過ぎてゆき
 
3日目で作品が完成したときには、全身の毛穴が開いていて、とても爽快でした
 
その絵には、そのときの自分のすべてがこもっていましたし、
 
没頭した時間と経験した空間は、
今でも私の特別な記憶の中にストックされていて、想い出そうとするとすぐに、そこにアクセスすることができます
 
 
あるスクーリングの最終日、いつものごとく、ゴミを拾って歩いていると、途中の河原の上で、

これまで見たこともないくらい大きな虹が目の前でかかっていきました
 
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そのときの私にとって、
虹は"前兆"であり、特別な意味を持っていました
 
いつも、虹を見るときには、
 
「その道であっているよ〜!それでいいんだよ〜!」
 
と言ってくれているようで、
ベストタイミングに現れてくれました
 
その日、新幹線で家路に向かう途中、本の続きを読もうとして、
 
しおりを挟んでいたページをパラっと開くと、
その章のタイトルが

"虹"
 
でした
 


神様はいると思いました
 
こんなにも、偶然が重なるわけないし、
ここまでわかりやすくシンクロニシティを見せてくれてなお、疑う余地はありませんでした

 
その本には、うろ覚えですが、
 
"人が、神様との間に結んだ約束や、契りを忘れていないというしるしに、虹を見せてくれることがあります"

というようなことが書いてありました
 
今では、前兆やワクワクに従って生きるとすべてが上手くいくということがいろんなところで言われていますが
  
それは、私たちの内面と外側の世界は繋がっていて
 
大いなる何者かの意思と、自分の意思が一致するときに

ワクワクというインスピレーションに満ちた状態になり、その感覚がガイドラインとなりうるからです
  
本来は、シンプルに、そのガイドラインに沿って、人生を選択していけさえすれば、自分にとっての最善の道が開けてくると思うのです

 

 



 

もうひとつのタブー

両親には「(大学のスクーリングで)大阪に行く」とだけ伝え
 
早朝、トランクを引きずり、こっそりと出かけました
 
 
行き先はアメリカでした
 
 
英語もろくに喋れなかったのですが、初めての英語圏の外国に、たった1人で旅立ちました
 
それは、私にとって、大冒険の始まりでした
 
 
私が当時、抱えていた秘密は、性別違和がひとつ(墓場まで持ってくつもりでした)
 
それから、もうひとつは、世間からみたらいわゆる"怪しい"セミナーに出かけていたことです

 
「自分とは何者か?」
「我々はどこから来て、どこへ行くのか?」
「死んだら意識は無になるのか?」
「宇宙とは何か?」
「宇宙の外側は存在するのか?」
 

当時は、ひたすら、それらを求めていました
 
就職して9年目、当たり障りなく、そこそこ満足していたように見せていた日々を変えたくて
 
まったく未知の新しい世界に飛び出すために、意を決して飛行機へ飛び乗ったのが、2012年9月のことでした
 
私にとっては、そのセミナーがきっかけで、
 
「市役所を退職し、心のことを深く探究する自分にぴったりな仕事に就く」
 
と決めることができ、その年度末に退職を迎える決意ができました
 
それから、何よりも、自分が知りたかった分野が、どんどん解明されていくことが、本当に面白くて仕方がなくなって、
 
さらに想像もしていなかった領域や世界があったことを知り、求めていたものが、すべてここにあったという感覚が得られました

求めていた"探求者"から、
研究する"探究者"へと態度が変わりました
 
2012年9月から、2015年2月までの間に、
8回も海外のセミナーへと出かけました
 
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ここで相当、お金と労力を使い果たしました
セミナー代、旅費、ホテル代、滞在費
 
チャレンジするために、毎回、意識をストレッチするということを繰り返してきました
 
しかし、このことは、
なかなか人へは言えませんでした
 
 
 
「いったい、なににはまってるの?おかしくなったんじゃない?」

「クレジットカードを使ってまで、そんな大金はたいて大丈夫なの?」
 
「もっと現実的に生きた方がいいよ」
 
 
そんな風に言われたり、思われるんじゃないかと思ったりしたからです

また、どこを目指して何をしているかわからない私に対して、 両親からは、

 
「いつまでも行き当たりばったりで、好きなことをやっていたり、貯金しないでいると、老後苦労するよ」
 
「いいかげん、地元へ帰ってこい」
  
 
 などと言われました

 
しかし、自分が選択したことに、後悔したことは1度もありませんでした
 
私にとって、ずっと待ち望んでいたスタートがやっと切れたこと
 
本当に学びたいと思っていた価値のあることを学べたこと

自分が生きたいように、やっと生き始めることができたからです
 
 
それは、これまで、自分の人生を生きている感覚がなかった私に、
 
本来の自分として、まったく新しい人生をデザインし、創造しなおすことが可能だということ、
 
「自分の人生は、自分で創ることができる」ということを確信させてくれました
 
そして、"意図的に生きる"ということを可能にしてくれたのです
  
過去のあらゆることを統合できたことも、大きな恩恵でした
 
 
そして、思いきって、外の世界へ飛び込んでからの3年半は、過去30年振り返った中でも、最も密度が濃く、エキサイティングで、
 
イキイキと、「自分を生きている!」という感覚を得ることができました
 
今後の人生で大きなリソースとなる大切な宝物を得たと思っています



   
 
しかし、そのあとに、私がとらわれてしまったことがありました
 
 
それが、私の中の自分を生きる上での最大のタブーとなりました
 
それは、
 
"恩恵を受けたそのネットワーク(団体)のミッションに自分も貢献しなければならない"
 
というところでした
 
しかも"特定したやり方"でいうところが、私にとっては大きなポイントでした
 
 
"これを独り占めしてはいけない、必要な人にこれを届けることこそが他者への奉仕であり、道である"
 
とか
 
"ここで得た恩恵を利用して、コーチングに活かすことは、他者を目覚めさせるのではなく、クライアントを自分に引きつけるというエゴがあって不純だ"
 
とか
 
"これを人に提供していくことが何よりもその人のためになるから、自分がコーチングをしてお金を得ることは良くないことだ"
 
とか
 
 
いろんな思い込みが芽生えてしまい、

(言われたわけではなく、本当に自分の単なる勝手な思い込みです!)
 
 
もはや、最初の目的であった、
 
「心のことを深く探究する、自分にぴったりな仕事につく」
 
というところが、ぼやけてしまい、
 
どこかいつも、自分がやりたいことや、
やることなすことを過小評価して見てしまっていたり、常に罪悪感を抱えていました
 
また、その反映を創り出していました
 

自分の人生を満たすことが完了していないのに、
エゴなんか捨てられるわけがない
 
そこからする他者奉仕なんてウソにしかならない
 
そう思いながらも、"エゴ"を正当化する恥ずかしさを感じてしまって、自分を貫くこともできず、
 
かといって、その団体にコミットすることを、自分のミッションと100%シンクロさせることもできず、
 
どっちにも振り切れない自分に嫌気がさしてしまい
 
いつも"中途半端な自分"というセルフイメージを根深く構築してきました
 
 
だけど、あるとき気づきました
 
整合された団体には、ただその団体の使命があり、それを全うしているだけなんだ
 
価値あるものを提供していること、そして、ミッションを貫くスタンスを決めていることは、むしろ、賞賛に値し、本当に並外れたことである

圧倒的に、その組織が見ているところの規模と、私が感じている抵抗は、領域が違いすぎて、
 
そもそも私がそれを摩擦に感じるかなんてあまり問題でなく、土俵が全然違うんだ

私の生き方に関して言えば、その団体に影響を受けるのも、(家を出るときに猛反対して許してくれなかった)父からの影響を受けるのも、さほど変わらないことなんだと気づいたとき
 
何かのせいで、「自分らしく表現させてくれない」とか、勝手に不自由を感じたりしていたことは、
 
ただ、ひとり相撲していたんだなと悟りました
 
最初から、私を捕えるものなんてなかったし、不自由を与えるものなんてなかった
 
むしろ宇宙には、そんなもの存在することすら出来なかった
 
何かを伝える人も、私のセッションを受けに来てくれる人も、
 
結局は、"私"という存在に引きつけられて来るのは変わらないし

"不自由さ"が存在するとすれば(それは人であれ、お金であれなんであれ)、自分の自信のなさゆえ、そこから逃げるために感じていた、その時には都合がよくて、必要だった感覚で、
 
何を伝えるか、何を使うかは実は問題ではなく
大切なのは、"私がやる"ってことなんだと
 
 
なぜか、昨日、
やっと、この感覚が掴めました。。。
 
 
月並みな言い方になってしまいますが、
私は、ずっと、何かを外側に身につけることで、
自信をつけようとしてきましたし
 
まだまだ足りないと感じていました
 
でも、やっと、自分の根源を感じ取り、

内側に流れるものの感覚と
それが外側のすべてへとつながっている確信を得られました
 
そして、足もとを見ることができました
 
まず、何もない自分を、逃げ出したくなる自分を
そばにいる自分が完全に認めてあげようと思いました
  
 
 
その上で、私は、この道を歩くと決めたのです
 

 



 


 


 

 



「ビジネスをなめんな」と言われました

2年前、ある方からコンサルを受けていた時代に、
「観(勘)が良さそうだから」と見込まれて、あるコーチングスクールの東京校の校長に抜擢してもらったことがありました
 
しかし、その後、私が知らない間に、相方がいつの間にか高額の契約をその方の師と結んでいて、あとで私が代わりに契約解除を申し出たことで、先方の反感を買ってしまい、金銭を巡るトラブルが発生してしまいました
 
既にコンサル代として十数万円支払っていたのですが、スクールの話は無かったことになりました
 
さらに、「契約金の残額(約60万円?)を支払うかは任せます」と言われ、こちら側にも、一度交わした契約を解除する申し出をしたことと、既にコンサルが始まっていたことの落ち度はあったため、罪悪感もあり、全額支払うか悩みましたが、

当初の話とそぐわないことや、私の活動や紹介により、先方に新たな契約が数件生まれて貢献していたことも鑑みて、三日三晩、冷静に考えました

その結果、「既に支払った分は仕方ないとして、残額は払わなくても良い」と判断し、ひたすら平謝りして、なんとかくぐり抜けた修羅場がありました
 
そのときに、その方に言われたのが、「それでいいんですか?普通みんな払ってますよ?ビジネスを舐めんなって話ですよ。もうこの話はこれでおしまいにして、今後、いっさい持ち出さないことにしましょう。くれぐれも裁判沙汰なんかにはしないように。」という言葉でした
 
このときは、自分の甘さと、ビジネスに対する恐怖心を覚えました
 
同時に、カタチのないものを提供するときに、一歩間違えれば詐欺ともなり兼ねない可能性や、
 
人を幸せにするサービスの提供の仕方とは何かを深く考える機会となりました

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また、別の話では、六本木で新しくスポーツジムを開業し、そこでコーチングを導入するので、ぜひ渡邉さんを紹介したいと、以前、お世話になった方からお話をいただきました
 
そこでは、LGBTセクシャルマイノリティ)に関する理解を深める趣旨のコンテンツも導入したいということだったため、
 
ちょうど自分がやってみたいことと重なったので、ありがたく請け負う方向で、六本木のオフィスに出向き、代表とミーティングを重ねました
 
しかし、臆病な私は、市場が男性7割、高級志向、経営者向け、ロジカル重視であり、六本木という立地のプレッシャーに、自分には出来ないんじゃないかと、内心ずっとドキドキしっぱなしで、
 
せっかくのお話でしたが、明らかな経験と力不足を感じてしまい、残念ながら、フェイドアウトするかたちとなりました
 
 
こういった出来事から、またまた、自分のビジネスに対する甘さを痛感させられたのでした
 

現在に至っても、ビジネスに関しては、相変わらず、甘々な私です

 
対個人では、私に何が提供できるかや、値段設定なども明確にあり、経験もそれなりに積んできてはいるのですが、ブログも毎日更新する体力もついていなければ、周知もうまくできていません
 
何より、この人なら任せられる!といった存在感、信頼を得られていないと自分では評価しています
 
また、対組織や、先日行った天然石の展示会販売もそうなのですが、集客して、必要な人に必要なものを届けるといったマーケティングは、まだまだ全然、うまくいかず、趣味やお遊びの域を抜けられていません
 
これでは、しばらく給与収入に依存してしまいそうです

 
 
「ビジネス舐めんな」
 
この言葉は、いまだに響いてきます

 
 
いつかは、地元の市役所にも、力をつけて、胸を張って帰り、価値あるサービスを提供し、恩返しできたらという夢を持っています
 
もともとは、地元の市役所で、身近な人が何人も、自ら命を絶ってしまう出来事に遭遇し、自分に出来ることを始めたいと思ったのも、上京したひとつのきっかけでした
 
小さな歩幅かもしれませんが、一歩ずつ、着実に、前に進んでいけたらと思っています