自分らしく最幸の人生を創造する生き方のススメ

高卒、性別違和、田舎の実家暮らしだった私が、本当の自分で生きると決めて、やりたいことしかやってはいけないルールのもとに行動に移した記録。得意なことはライフデザイン。本当の望みを実現するために、自分の本音を知っていくこと。それさえわかれば、勝手に道は開いてゆける。

理想のヴィジュアライゼーションとは

私が恐れていたのは、何かに屈服するという屈辱感を味わうことでした

 
自分には何もない、だから、いろんなものを身につけて、ひとりでもちゃんと立てるようにならなければならない
 
その根本には、一人前として認められたいという強い想いがありました
 
両親から認められるには、
 
田舎の実家から上京しても、自分の力で生活し、食べていけること
 
本当にやりたいことをやった方が人生はうまくいくし、絶対的に幸せであることを証明し、古い価値観を払拭すること、
 
そして、何より、自分の選択が間違っていなかったことを見せつける必要がありました(と、感じていました)
 
そして、社会から認められるには、
 
月収7桁になることや、素敵なパートナーがいること、良い家に住む必要がありました(と、感じていました)
 
 
少し話はそれるのですが、
 
私は、20歳頃に引き寄せの法則に出会い、
その後、スピリチュアルな本や自己啓発本を夢中で読み漁りました
 
進化論が腑に落ちず、宇宙の外側には何があるのか、死んだらどこへ行くのか、我々はどこから来たのか、我々は何者か、
 
考えれば考えるほど、答えが出ないような、哲学的なことだったり、
 
いわゆる、真理の探求が好きだったのです
(怪しいと思われそうだったので、本の背表紙を裏返して、部屋のすみに隠していました)
  
 
で、
 
今でこそ有名な、その引き寄せの法則といわれる秘密を知り、試験的に実践を続けてきました
 
すると、
 
本当に欲しいと感じるものや、ワクワク感じるものは、臨場体験(先取りして五感で体感)すると、かなりの確率で、後から本当にそれが経験できることを確信しました
 
しかし、その本当に欲しいものというのが、実は肝心で、
 
私は上京してすぐ、3年後のヴィジョンを創造したとき、世間一般の代表的な、夢のような成功の図を描いたのですが、
 
それは、タワーマンションの33階に住んで、お互いを高めあえる最愛のパートナーと暮らして、野菜中心の豊かな食事、自然豊かな環境、好きなコーチングのセッションを仕事にして月収300万円を得ているというような感じのもので、
 
叶った部分もあれば、
叶わなかった部分もありました
 
 
上京して3年、現在の状況といえば、
 
最愛のパートナーとは出逢えたものの、タワーマンションではなく、西東京の自然豊かな公園の目の前の、日当たりの良い2LDKの部屋住んで、美味しいハンバーグや、食べたいものを食べたいときに食べ、雰囲気の良い有名大学で働き、安定した給与所得をもらい、LDMのセッションと、天然石の仕事を、自分がしたいときにして、月収は35〜50万円という生活を経験しています(2016.5月現在)
 
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これは、LDMの最初のセッションで出てきたものが、そっくりそのまま叶っているのですが、
 
誰かの成功で描いたヴィジョンでは、本当に欲しいとか、心地良いと感じるものではないので、それは叶わないのです
 
LDMは、インスピレーションを受け取って具現化するので、それは、思考を超えて、自分の人生にぴったりな、最適なヴィジョンが降りてくるので、見事に叶いやすいのです
  
自分に最適なヴィジョンを、「身の丈にあったものしか叶わない」というネガティヴなものとして捉える必要はなくて、
 
もし、今、本当に望むものがすべて叶っても、物足りないと感じたり、もっと経験したいことが湧いてくるならば、
 
さらに自分が心地良いと感じるもの、経験したいもの、欲しいと思うものを、好きなように変化させたり、デザインしていけばよくて、
  
それは、信念体系を変えることで心地良さも変化させることが可能になります
 
(このあたりは、LDMの講座か、セッションを受けていただければ、感覚をつかめてくると思います)
 
  
さて、話は戻りますが、
 
私は、上京した当初は、いろいろ武器や鎧をまとったり、月収7桁になったりして、家族や社会を認めさせてやる必要があったのですが、
 
いま、その必要性を感じていなくて、
 
 
"自分らしく、幸せであればいい"
 
 
というところに落ち着いています
 
そして、さらにもっと深く豊かにしていくには、どうしたらよいだろという問いを、自分に向けるようになりました
 
そのためには、起こる変化を受け入れ、柔軟に、身を委ねるということも、時には必要なのだと感じている今日この頃です
 
そんなこんなで、いまそのパートナーとは、実は、いろいろあって別居しているのですが、
 
このまま、別れてもいいし、また一緒になる日が来てもいい
 
お互いが、それぞれの人生で幸せであればいい〜って心から想います
 
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誰がなんと言おうが、私はパートナーのことを愛しているし、
 
それぞれが、自分のことに集中して、統合した先に、
また、心から繋がれることを信じています
 
なんてったって、私たちは、最強コンビですから!
 
 
すべては必然で、
 
すべてはうまくいっているのです^ ^
 
 
 
 
 
 

男性性・女性性のつながりに目覚める②

私は、そもそも、男性の暴力的なところや、

寄り添うことが下手だったり、感情が希薄なところが苦手でした
(もちろん、そういう人ばかりではありません)
 
そして、女性のたおやかさや、包み込んでくれる感じは、安心することができ、とても好意的に感じました
 
世の中から、男性がいなくなればいいとさえ、思った時期もありました
 
特に、偉そうで、傲慢で、人を見下しているタイプの男性に対しては、嫌悪感が半端なく湧き上がってくることがありました
(そういう人は、地位や肩書きばかりで、虚勢をはって、中身は大したことなさそうに見える人でした 笑)
 
そして、そういった男性に虐げられ、自己主張できない女性には、絶対になりたくありませんでした
 
私は、今でこそ、両親のことはどちらも好きで、生きているうちに出来るだけ親孝行したいと願ってるのですが
 
小さい頃は、お父さんがきらいでした
 
お父さんから、お母さんを守ってあげたいと思っていました
 
お母さんは、この世から永遠にいなくならないでほしいし、いなくなることを考えると、それだけで涙が出るほどでした
 
反対に、お父さんなんて、事故にでもあって死んじゃえって、いつも思っていました
(今では、本当にそうならなくてよかったと思うのですが、、^^;)
 
物心つく前に、私が抵抗している男性性と女性性の典型的な印象となるものを、一番最初に両親に見出し、その投影にずっと苦しんできたのです
 
私がもし男に生まれていたら、もっと人を温かく包み込んで、誰よりも優しい男(で、めっちゃモテモテw)であるはずなのにと、小学生くらいの頃から密かに感じていました 笑
 
しかし同時に、父の子である私には、絶対に暴力性や、人を傷つけてしまう要素が眠っていると信じていて、表に出さないように神経質に気をつけている面もありました
 
何があっても、相手を優先し、自分を犠牲にしてでも他人に尽くすことが美徳であることを、母の姿を通して学び、大切にしてきました
 
今思えば、パートナーに対しては、外に出さないように気をつけていたはずのものや、
絶対に出してはいけない自分のタブーを、随分とぶつけてしまいました
 
怒りや、暴力性を露わにしたり、無償の愛を与えたつもりが、与えた分だけ、見返りを求める欲求も湧いてきたりしました
 
しかし、
どんなに醜い自分を見せつけても、パートナーは、ずっと私を愛してくれました
 
 
こんな私でも、愛してくれるんだ
 
 
それは、驚くべき至福の経験でした
 
 
また、私も、どんなパートナーも嫌いになれないし、むしろ初めて会ったときのようなトキメキがずっと失われずにありました
 
そんなパートナーの存在には、感謝しかありませんでした
 
 
私は、それまで、自分の中の男性性も、女性性も受け入れることが出来ていなかったので
 
自分のアイデンティティも定まらないし、自分が何を好きで、どんな自分になりたいのかもわからない
 
何かが良いとか悪いとか決めつけるのもできなかったので、中身のない、スカスカな人間でした
 
それでも、いつも顔はニコニコしていたので、人には好かれて、友達には恵まれていました
 
性別の心の悩みごと以外は、とても楽しく幸せに過ごせていたと思います
 
学生時代はバレーボールに熱中し、社会人になっても、告白された人と、とりあえず付き合うという付き合い方をしていたので 笑
 
パートナーと出会うまで、まともな恋愛もしてきませんでした
 
それが、いま、こうして、自分の内側にある、
女性性と男性性のそれぞれの魅力が目覚め、
それぞれの否定を、日々、できる限り拭い去り、
 
まず、"自分の内側に存在する女性性と男性性の結婚"ということをテーマに内観することを、真摯に取り組み始めました
 
周りが結婚したり、子どもが生まれたり、
世間体を気にしては、焦りを感じたりする自分も正直いましたが
 
どうあがいたって、型にはめられた普通の生き方はできないことはわかったので、自分の感覚に正直に生きるしかありませんでしたし
 
何より、このときは、パートナーと過ごす日々と、共に未来を描くことに本当に幸せを感じていました
 
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しかし、
 
強烈に惹き合うもの同士は、
わかって欲しい、わかりあいたい
という欲求から
 
特に、第三者が絡むときに、
寂しさ、嫉妬、分離、不自由を生み出してしまい
 
どうしても、常に激しいぶつかり合いが起こってしまいました
 
その後、それぞれの歩む道は、少しずつ、
掛け違えられていってしまったのです
 
 
続く
 
 
 
 
 
 
 
 
 

男性性と女性性のつながりに目覚める①

彼女と出逢ってからは、

それまでの人生の、自分の片割れとなる存在がいなかった期間を埋めていくための作業をするかのように、あらゆる経験を共にしました
 
それは、幸せを感じることでもあれば、
愛を確かめるようなかけひきをしたりすることでもありました
 
ずっと感じていたのは、
子どもの頃の自分と、子どもの頃の相手が

過去には会っていなかったはずなのに、
時空を超えて、
お互いを癒しあっている感覚でした
 
パートナーを通じて、
どんどん、どんどん
未完了だった感情が満たされたり、
統合が進んでいきました

そして、念願だった
ライフ・デザイン・メソッドの1Dayクラスである

「男性性と女性性のつながりに目覚める」
 
というクラスに、2人で一緒に参加しました
 
私たちは、それが、どんなクラスなのか、
とてもワクワクしていました
 
そして、そのクラスは、期待を裏切らない、
本当に素晴らしいものだったのです!
 
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ライフ・デザイン・メソッド(以下、LDM)では、
 
女性性のことを"アワ"、
男性性のことを"サヌキ"と呼んでいて、
 
これは、日本の上古代と呼ばれる時代に使われていた言葉でした
(今でも四国の方では、地名等でもその名残りは見られ、アワおとこ、サヌキおんなという言葉すらもいまだに残っているそうです)
 
そして、アワとサヌキには、それぞれにエネルギーの質の違いがあり、見られる特徴もまったく違うのでした
 
アワは内側を向いていて、今を大切にする質があるため、
 
例えば、自分を責めてクヨクヨしてしまったり、
日々の生活の豊かさにこそ幸せを感じたりするのですが、

サヌキは外側を向いていて、未来を形づくることを大切にする質があるため、

例えば、他人を責めて虐げてしまったり、
ヴィジョンや目標を達成することにこそ生きがいを感じたりします
 
そして、このアワとサヌキは、
男性であっても、女性であっても、
どちらも私たちの中に存在していて、
 
そのアワとサヌキのバランスが、
自分が心地良いと感じたり、
本来の自分でいられる位置を把握し、
 
現状と理想の状態がどのくらいズレているのかを認識したり
 
どちらのエネルギーも、必要に応じて、
柔軟に、そして豊かに活用にできるようになることを目的とされたワークをしました
 
私たちは、自分たちの間で頻繁に起こる経験に、
その日に学んだアワとサヌキの違いや、地雷ポイントなどを重ねて
 
思わず顔を見合わせて、大笑いしてしまいました
  
とんだカラクリであったことが、
手にとるように紐解かれていきました
 
 
面白いことに、ある出来事のときには、
 
私が低次状態のアワになっていて、
相手が低次状態のサヌキになっていたりとか、
(LDMのアワとサヌキには、低次状態と高次状態という尺度も存在しています。
 
低次状態は、前述の例であげた通り、自己卑下や他者批判などに陥った状態ですが、  
 
高次状態では、アワは、そのままのすべてを包み込む、愛と慈しみの状態となり、サヌキは、人をより良い方向へ導くリーダーシップを発揮します。)
 
またはその逆もあったり、
ちゃんとお互いを通して、アワとサヌキのバランスをぴったり補い合っていたので 、(時には奪い合うこともあったかもしれません)
 
パートナーとの関係性は、自分の中のバランスが乱れたり、奪いあったりしたときに、ぶつかったり、理解し合えなくなるのだと思いました
 
そして、自分がアワでいなければならないとか
サヌキを担わなければならないとか
どちらが正しいでも、どちらで存在すべきでもなく、
  
本来の自分が、心地良いと感じるところを知るというところが、何を差し置いても、大切なポイントであることを知りました
 
ワークの中で、アワ・サヌキのエネルギーを体感し、スケールで本来の自分の心地良いところをはかると、
 
私の場合、真ん中からややアワに寄ったところにあたりました
 
それが今後、"自分らしさ"というものの、
ひとつの羅針盤となり、
 
さらにだんだんと、生きやすさというものを感じられるきっかけとなっていったのです
 
 
続く
 


 


 

 

 

 

 


 


 

 

  

 

ライフデザインメソッドと出逢うまで③

体験セッションを受けてくれた彼女とは
 
会った瞬間に、
言うなれば、"魂の繋がり"のようなものを感じました
 
見た目も、とても美しい人だったので
吸い込まれるような
 
そして、一緒にいて、
とろけるような感覚がありました
 
 
(やばい人に出逢ってしまった!!!!!!!!)
 
 
時間が止まったようなひとときを過ごして帰ったその日の夜、

シェアハウスに帰って、嬉しさのあまりに、
 
「今日、すっごく魅力的な人と出逢っちゃった!!!!もう本当に素敵な人!!!!」
 
と、同居人たちに興奮しながら伝えたりしていました
 
しかし、ふと我に返り、
女性と出会ってこんなに喜んでは
同居人たちに変に見られないかとか
(その頃、同居人たちにはまだ自己開示していませんでした)

私は女なんだから、
彼女も私のことをただの女の人として見ているはずだし、
 
「ときめいたり、彼女に好意を持ってはいけない」
 
と自分に言い聞かせて、
感情を落ち着かせました
  
自分の感情に理性を効かせて、
その感情がなかったことにすることは、
十分に慣れていたと思います
そうせざるを得ない状況は山ほどありました
 
相手にも気づかれないように
彼女とは、仲の良い友達でいられたらそれで良いと思っていました
 
しかし、その理性は、
すぐさま吹き飛ばされることになりました
 
なぜなら、彼女の方も、
私を女だと知りながら、
 
実は会った瞬間に、
"一目惚れ"してくれていたと言うのですから!
 
彼女はそれまで、
自分に対する性認識も普通に女性で、
恋愛対象も、男性しか好きになったことがありませんでした
 
それが、なぜか、
会った瞬間に、私の中にすーっと入った感じがして、ひとつになった感じがしたらしいのです
 
そして、性別に違和感があり、心は中性として生きていることをいたって冷静を装いながら彼女に伝えると、
 
彼女が言うには、
私の恋愛対象が、男性か女性かもわからなかったけど、実は、会ったその日に、
(初めて会ったのは、偶然にも彼女の誕生日の日でした)
 
10月の私の誕生日に告白をしようと決めてくれていたというのでした
 
私が、彼女に惹かれる想いをそれとなく伝えると、
 
「同じ気持ちだったのですね」
 
と言ってくれ、

つま先から頭まで、
全身に電撃が走りました
 
 
それから私たちは、まるで、
何千年、何億年も前から知っていて、
 
今世で出逢うことをかねてから決めていた約束が
いま、果たされて

「やっと出逢えたね」

というような、
パズルがピタッとはまる感覚を迎えました
 
そして、初めて、深い深い安堵感を感じて、安らかな眠りに着けたことを、今でもよーく覚えています
 
私は女性と付き合うのは初めてでしたし、
運命の出逢い的なものも、
あまり信じていませんでした
(むしろ、くさ〜いと思う方でした)
 
だけど、あまりにも起こる偶然の共時性に、
彼女に対して、そういった類のものを確信せざるを得ませんでした
 
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そして彼女が、女性性、男性性の両方の良さを大切にしたいと言った私に、
 
ある方のFacebookの記事をシェアしてくれました
 
 
その記事は、今までの人生の中でも、
経験したことがないほどの衝撃をもたらしました
 
私がずっと求めていたものの答えが、
そこにある感覚がしたのです
 
そういった概念を目にしたのも初めてのことでした
 
 
それは、
ライフ・デザイン・メソッドの創始者である
堀内恭隆さんによる以下の記事でした
 
-----------------------------------------
2014年3月7日
 
【 “自分以外” の存在によって、お互いに自分に目覚めていく
 それこそが、女性性・男性性のハーモーニー 】

ここで改めて、『 男ってものもいいやん! 』っていうのを
発信していきたいところ、ありますねー。

男性性って、いまはネガティブな面で表れていること
多いので、本能的に怖がっている方、多いんですよね。

その辺りを警戒して、委ねられない女子の方
いると思います。
 
 
男性性もね、本来は温かいんですよ。

安心して、“自分らしくいられる” 包み込まれるような感覚。
 
 
安心して、安全だからこそ
そこで女性性を安心して開いてゆける。
 
 
そして、そんな女性を感じて
男性ははじめてそこで『自分の存在』を確認できる。
 
 
自分という存在が、

『この人にとって、こんなに大きいんだ』

その実感が、男性の内なる自信を高めていきます。
その感覚は、さらに高次の男性性を導いていきます。
 
 
自分以外の存在によって、お互いに自分に目覚めていく
それこそが、女性性・男性性のハーモーニーであると
僕は捉えています。

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2014年3月7日
 
 【 世の男性!真の男性性に目覚める時です!! 】

男性性の目覚めの場合には、

『 男性性が “よきもの ” であることを思い出す』

ということが大切です。

集合意識的に、男性性への嫌悪感は高まっています。

それは、女性側にも、当事者の男性側にも。
 
 
散々、男性はやってきましたからね・・・ 
 

もう、『男性性なんて、なくってもいい!』というぐらいまで
お感じになっている方もいらっしゃるのではないでしょうか? 

 
でも、本当の男性性とは、破壊でも、支配でも、暴力でもないのです。
 
 
男性性の正体とは、『柱』です。
その場にいるだけで、安定感をもたらす軸のような柱。
 
 
その柱があるから、場は安定し、守られる。
 
 
そして、そこに『柱』という存在があるから、
周りにいる人達は、自由に自分を表現できる。

だから、その場にいる人は『自分らしさ』を
安心して委ねて表現できる。
 
 
敏感な若い男の子って、モロに『男性性への嫌悪感』を
食らっています。
 
 
・だから、草食男子が増えています。
・だから、化粧をする男子が増えています。
・だから、決断できない男子が増えています。
・だから、世の中からクリエイティブがどんどん失われています。
 
 
これ、『男性性への嫌悪感』がなくならない限り、
どんどん悪化するよ??
 
  
 
僕自身は、『なんで男に産まれてしまったんだろう・・』
ということを、かつては何年も悩んでいました。
 
男性って、暴力的でわがままで、自分勝手で、
この世界をぐちゃぐちゃにしている。
 
 
でも、いまの妻の瑠美さんと出会ってから
『彼女を守る柱』として目覚めてからは、
自分の男性性が大好きになりました。
 
 
『あー、自分って “よき存在” なんだ。いてもいいんだ!
 人の役に立てるんだ!』
 

と、自分のことが大好きになったのです。
  
 
ここで言う、“自分”とは、男性性のことです。

僕は、彼女と出会い、『真の男性性に目覚めた男性』として
このことをこれから、どんどん発信していきます。
 
 
世の男性!真の男性性に目覚める時です!!なのです!

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私の中に眠っていた男性性がゆっくりと目覚め始め、解放していいんだという感覚
 
そして、満たされていく感覚を感じました
  
間違いなくこの頃から、
運命というものが、
私の本心から行きたかった方向へと
ガラガラと動いていったのです
 
 
続く


 



ライフデザインメソッドと出逢うまで②

上京したものの
 
まず、
住む家もまだ決まってなかったので
 
貯金もすぐ底をつくことを恐れ
事前に調べていた
格安のシェアハウスをみてまわりました
 
(ひと月前に東京にいくつか下見に出ていたのですが、契約まで取り置きができず、家賃が発生してしまうので、出たとこ勝負にしたのでした)
 
都内の格安シェアハウスは、
どこも狭くて、汚いところが多く
 
朝から夕方まで1日がっつり探しても
しっくりくるところが見つからず
もうダメだと半べそになりながら
 
やっとのことで見つけたのが
小田急線生田駅から徒歩10分ほどの
ところにある一軒家のシェアハウスでした
 
一軒家を6人でシェアし、
3万円代で5畳のきれいな個室に入居することができました
 
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なんとか気に入った家を確保でき、
ホッと、安心しました

 
私は、その頃、
今でこそこうやって公に言えるのですが、
 
口座の残高は、約10万円ほどでした
 
 
親からも、ちゃんと応援されるかたちで出てきていないので、
 
この状況を自分でやりくりしなければならなかったのですが、
 
何より、貯金がこれだけしかないということは、
特に家族には、口が裂けても言えませんでした
 
ただでさえ、無防でバカな選択だと思われていたはずですから、
 
余計にそれを助長してしまうと思ったのです


ここまで、意地を張ってやっとの思いで外に出られたのに、
 
お金に困って、親にすがったり、
実家に泣き寝入りすることになることは、
プライドが絶対に許しませんでした

 
定期貯金や個人年金まで切り崩し、
退職金の約200万円もほぼ使い果しました
 
 
何にそんなにお金を使ったかというと、
 
ひとつは、
好きなことを仕事にするという目標を立てていたので、
 
まずは何をやるかということだったのですが、
 
人を勇気付けたり、
自分らしく、生き生きと生きることを
自分も実践し、
関わる人すべてにそうなってほしい
 
それを仕事に出来たら最高だな〜と考えていたので、
 
その頃インターネットで知ったばかりの
コーチングスクールに通いました
その費用が、60万円でした
 
 
それから、市役所時代、
地元育ち、地元就職の1度も外に出ていない
狭い世界観を広げたくて
大阪芸術大学の通信教育学部に通っていたので

その費用が 、
学費計約80万円、交通費総計約50万円
 
 
そして、退職前の悶々期、
外に飛び出すきっかけが欲しく
約260万円ほど使っていました
 
なので、本当に、
手元にはお金が
ほとんどありませんでした
 
さらに、兄にお金を借りてまで、
さらに自分に必要だと思うセミナーを受けたり、
 
コーチング業で、すぐ結果を出して、
取り返せばよいと考えていたので、
50万円支払ってコーチを付けたりもしました
 
私は、完全に金銭感覚が狂っていました 笑
 
 
そして、結局は、
コーチング業ではすぐに食べていくことが出来ない現実に直面し、
深く落胆しました
 
できなかった自分を責めました
 
そして、やりたくもない、時給1,000円くらいのアパレル系のアルバイトをして、
 
なんとか生計をやりくりする日々が続きました
 
 
その頃、書き始めたブログのタイトルは、
 
「やりたいことしかやってはいけない生き方のススメ 〜何の制約もなかったら、あなたは何がしたいですか?〜」
 
でした
 
 
正直言って、お恥ずかしい話、
私がその
"やりたいことしかやってはいけない"を、実践出来ていませんでした
 
それは、見る人からすれば、詐欺に近かったのかもしれません 笑
 
 
しかし、ブログを書くことは、
私の夢のひとつでしたので、
 
いつも、
すごくワクワクしながら書いていました
  
既に、自分がなりたい自分になっている状態で、
それになりきって、
 
今まで経験してきたことや、
私なりに想う真理、
自己開示などを
書いていたのですが、

知らない方から、
体験コーチングの依頼がよく入ってきていました
 
その頃は、コーチングにも自信がなくて、
無料で行っていたので、お金にはなりませんでした
 
(その頃の私は、コーチングのお申し込みがあっても、セッションをやるのが、怖くて仕方ない状態でした 笑
 
なので、お申し込みは嬉しい反面、来ないで欲しいとさえ思っていました)
 

  
そして、そのブログは、
奇しくも、
人気ブログランキングの3位にまで浮上したのです
(今は、当時のブログのアカウントは、削除してしまいました)

そして、上京して1年が経つ頃、
Facebookで宣伝していたコーチングの体験セッションに

1人のある女性からお申し込みが入りました
 
その女性は、
後に、私のパートナーとなり
 
ライフ・デザイン・メソッドの創始者である
堀内恭隆さんに触れるきっかけを与えてくれたのでした
 
 
 
続く

 

 



ライフデザインメソッドと出逢うまで①

初めまして

渡邉あきです

 

私は、ごく普通の田舎の家庭に

長女として生まれ

地元の小学校、中学校、高校に通い

 

その頃は特に夢もなかったので

大学には行かず

実家に住みながら

 

地元の市役所に就職し

平々凡々な暮らしをしていました 

 

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収入や暮らしも安定しながら

特に大きな不満もなく

就職して9年が経とうとしていました

 

当時、27歳の頃でした


私は、その頃、悶々と

こんなことを感じ始めていました

 

 

「特に不満もなく、ありがたい環境ではあるのだけど、私の人生は、このままで良いのだろうか

 

 

「このまま、何も変わらず、60歳の定年まで、ここで毎日同じような仕事をして、人並みに結婚とかして、安定して暮らすことが、本当に幸せなのだろうか

 

 

思えば、私は、

親が勧めることを

そのまま受け入れてきました

 

市役所への就職もそうでしたし

大学へ行く必要もないし

実家から通えばお金も貯まるということ

 

将来は、

(海の近くだったので)漁業権を持ってる

人と結婚したりなんかして

 

実家の近くに暮らして

親孝行できれば良い

 

私もそれこそが

幸せなんだと思い込んでいました

 

しかし、私には、

実は、誰にも言っていなかった

重大な悩みごとがありました

 

もちろん、

親友や家族にも、本当に誰にも

言っていなかったことでした

 

 

それは、

心と身体の性別が不一致であること

 

 

本当は、女として生まれたけど、

女としてなんか、絶対に生きたくないと

心底思っていたことです

 

黒いランドセルを背負いたかったし

学ランを着たかった

 

お人形遊びよりもミニ四駆やプラモデルを

堂々と、思う存分楽しみたかった

 

それらも全部、我慢してきました

 

スカートをはくことを期待されました

女の子の遊びをすると周囲に喜ばれました

 

周りからは、男の子っぽい女の子だなとは

思われていましたが、

 

しょせん本音を偽った

ウソもんの私でした

 

心のうちをバラしてはいけない

本当に欲しいものを欲しいと言ってはいけない

好きなものも隠さなければならない 

 

自分は人と違っておかしいんだ

 

本音は恥ずかしいことだし

人から批難されかねない

 

みんなの期待にこたえたい

みんなに嫌われたくない

 

気持ち悪いと思われたくない・・

 

そう思うようになりました

 

そんな私が、

人が教えてくれる"幸せ"を迎合するのは、

簡単だったのだと思います

 

自分の好きなものを隠すかわりに、

好きになるべきものを教えてほしかったのでした

 

なので、ものの見事に、

絵に描いた餅のような"幸せ"を

受け入れて

そのとおりに生きようとしていました

  

そして、

市役所に勤めながら

キューバダイビングを楽しみ

休日には仲間とバーベキューをしたり

 

はたからみたら、とても

充実した日々を過ごしていました

婚約をした男性までいました

 

 

しかし、あるところで

プツンと糸が弾けるのを感じました

 

今ある生活をしながら

このまま進んだ10年後、20年後を

想像したとき

 

あまりにもつまらない、

退屈さを覚えました

身震いさえ起きました

 

これからの未来を、

他の誰でもない、

この私が経験しなければならない

そう思うと、へどが出ました

 

たしかに、今の生活は、

他の誰かにとったら幸せかもしれない

 

しかし、

偽りを重ねた自分からしたら、

今の生活を幸せだと感じるには

あまりにも自分に不正直

 

本当の自分は、

もっと外に出たがっていること

自分らしさを表現したがっていることに

初めて気づいたのです

 

 

私の人生、こんなもんじゃない、、

 

 

本当の自分で、

         自分が決めた人生を生きたい

 

 

心底そう願いました

 

そして、 

両親には、

「本当にやりたいことをやりたい」

という曖昧な思いを伝えたのち、

周囲の猛烈な反対を押し切り

 

こんな生き方、

誰からも理解されない

人に笑われてしまうかもしれない

 

それでも構わないといった

ひとりよがりな想いのままに

 

市役所を退職し、

その後、婚約も破棄

 

まだ、経験しえぬ"何か"を求めて

トランクひとつで上京したのは

 

今から3年前のことでした

 

 

肩書きも、資格も、経験も、

高卒で地方公務員となったということ以外、

何も持っていなかった私ですが、

 

未知に対して、

全く根拠のないワクワクと確信、

そして少しの恐怖を感じていたあの頃、

 

今思えば、それこそが

インスピレーションに満ち溢れた選択だったのかもしれません

 

 

そして、その頃の私は、

 

まだ、ライフ・デザイン・メソッドの存在を知りませんでした

 

 

続く