自然に身を委ねること
人間の最大の悩みの本質とは、
「本当は何がどうなったらいいのかわからない」
ということである。
それがわかってしまえば、スムーズに解決していける能力をもともとみんな備えている。
その本音は、言ってはいけないと思っていることかもしれないし、
自分が絶対になりたくないと思っている自分になることかもしれない。
まずはそれらをジャッジしたり、
抵抗することをやめて、受け入れていくことが必要なプロセスである。
裁いているのはいつも自分。
自分が経験したいことを決められないということは、その決定権を誰かに委ねることに他ならない。
自然に身を委ねることと、
惰性で生きることは、
まったくもって区別しなければならない。
自然とは、頭と心と魂の声が整合しているときに、理にかなってそれが現実に創造されていくものなのだ。それは自己の中心から全体に調和を生み出し、シンプルかつスムーズで美しいものだ。
惰性とは、過去の習慣性や思考パターンから、そのように流れてしまうことだ。
そこにはなんらかの偽りが存在し、不協和音を生じさせ、自分または他人を心地悪く感じさせる。
さらに、落胆や、諦めが混じっている場合もある。
惰性のまま、自然に委ねようとしても、意識の中が整合していない時点で、既に不自然なのである。
それを放置して、いくら宇宙に委ねるといって何もしないでいても、人生はほとんど変わらない。
頭と心と魂の声を整合させるのは、私の最も得意とするところである。
本音を理解するために自己を整えておくことは、
思考がすべき唯一の仕事。
本音がわかってしまえば、モチベーションは勝手に上がり、身体はいても立ってもいられなくなって自然と動くものだから。
その行動が本当に欲しいものをどんどん生産するし、その精度は打算を持って行うよりよっぽど高い。
自分が経験することを選択できるという責任は
時にめんどくさかったり、
罪悪感を感じたり、
苦しみととる人はいるかもしれないけど、
それを楽しみと捉えられたとき、
人生に随分と自由が増えるはず。
ちなみに、罪悪感は意識レベルとしてはとても低い波動数であるため、とっとと捨ててしまいましょう。
決定権を持つ意思を眠らせたままにしておく代償は、いつまでも、自分の人生を思うように生きられないことにある。
決めることの責任の放棄は、
自らを被害者の立場へと簡単に追いやってしまう。
本音に従っていれさえすれば、
自然に身を委ねることと、
意図的に生きることは両輪となって動くから、
どちらを先に意識する必要もない。
結論的に言うと、
心地良く、人生の舵取りをしながら生きるコツは
やはり、ほんとのほんとのほんとの奥に眠る
本音に従うことにあるということ。
それがいくら言いにくくても
醜いと感じても
蓋をしないで見てやって
恐れずに、やっちゃえ^^