自分らしく最幸の人生を創造する生き方のススメ

高卒、性別違和、田舎の実家暮らしだった私が、本当の自分で生きると決めて、やりたいことしかやってはいけないルールのもとに行動に移した記録。得意なことはライフデザイン。本当の望みを実現するために、自分の本音を知っていくこと。それさえわかれば、勝手に道は開いてゆける。

どんな理由があったにせよ、しょせんすべては言い訳に過ぎない。自分の人生より優先順位の高いものなんて本当は存在しない。

市役所に勤めて9年目
 
私は、人生の岐路に立っていました
  
 
それまでも
 
自分が進むべき方向性や
 
本来やるべきことがあることに
 
うすうすは気づいていました
 
 
だけど、それは、
 
『いつか』やるものであり
 
 
それに挑戦できるだけの実力がついたら
 
生活していけるだけのお金が貯まったら
 
周りから価値を認めてもらえたら
 
家族にすべてを納得してもらえたら・・
 
 
そんな風に思っていました
 
 
しかし、
 
私が人生を変えるためには
 
ここで決断する必要がありました
 
 
年に1度だけアメリカで開催される
 
あるセミナーにどうしても参加したい
 
 
そして、今、その決断と行動をすることが、
 
今後の自分の人生を左右することを
 
直観的に理解していました
 
 
当時、私は議会事務局に配属されていました
  
 
市の予算執行、規則や条例の制定など
 
市政において極めて重要な決定機関である
 
"議会"のスムーズな進行の補助や、
 
議員さんへの接遇、議長秘書業務、
 
委員会の書記として議事録を作成することが
 
私の『やるべきこと』でした
 
 
そしてそのセミナーの日程は、 
 
2月の定例会の期間とピッタリ当たっていました
 

私は自分に与えられていた仕事の責任の重さも
 
社会人として何を優先させるべきかも
 
十分にわかっていました
  
 
自分のやろうとしていることが
 
いかにクレイジーで 
 
どれだけ自己中心的でわがままなことか
 
自分に言い聞かせました
 
 
議会事務局は、
 
ただでさえ職員の人数が少ないし
 
自分がいなかったら
 
議会の休憩の間の議員さんが飲んだコーヒーやお茶の洗い物や
 
灰皿をきれいに拭き取ること
 
課長補佐から課長への答弁補助の伝達
 
記者への対応や外部からの電話対応などに
 
あたれる人がいなくなってしまうので、
 
外部から、自分の代わりに応援に入ってもらう必要がありましたが
 
当市には、余剰要員がでるほど職員は採用していませんでした
 

自分に与えられた仕事や責務よりも
 
自分の"やりたいこと"を優先するなんて
 
とんでもないことだと思いました
 
 
もっと計画性を持って
 
仕事を辞めてからやるべきことなのではとも思いました
 
 
こんな相談を持ち出してしまったら、
 
局長や同僚を困らせてしまうし 
 
断られるに決まっているだろうと思いました
 
 
思い悩んではみたものの
 
答えは決まっていました
 
  
なので、頭は、

どのように相談するか
 
職務の代替をどうするか
 
社会人としての責任はどうとるかということを考え始めていました 

 
年末年始の長期休暇に入る前のある日

局長に相談しました
 
 
「局長、ちょっとお時間よろしいでしょうか」
 
 
議会中に私事都合で休暇をとるなんて、仕事を舐めているとしか思えない・・
 
私は相談する前に、そう思われることを承知のうえだったので、
 
こうなったら、自分の身の上を全部話そうと決意していました
 
私が抱えてきた(墓場まで誰にも言わずに持っていくつもりだった)性別違和の悩みのこと

今後、自分が本当にやりたいと思っていること
 
そのために、いまこのセミナーに参加することがどうしても必要なこと
 
そして、そのセミナーでどんなことがなされ、何が得られるかということなど、
 
市役所の人に、こんな話を正直にしたのは初めてでした
  
それまでは、こういう話は、「どうせわかってもらえない」とか、「頭のおかしいやつだ」と思われると思い込んでいたので、ほとんど話したことがありませんでした
 
とても勇気のいることでしたが、
別室で局長と2人きり
 
局長は丁寧に話を聞いてくれました
 
局長は穏やかな方だったので、怒るようなことはありませんでしたが、
 
「最初に話してくれた性別のことは、俺はよくわからなかったけど、議会中の休暇のことは、議会事務局長としては、それを許可することは出来ないな」
 
と言いました
 
私は、自分のすべてをさらけ出したのに、無駄だったことと、結果的に、休暇を承認してくれなかったことに落胆しました
 
そして、やはり、どうしても今このタイミングで、そのセミナーに参加したいという想いだけが、そのときに強く残りました

退職を決意したのも、この時でした
 

後日、もう一度、
局長に時間を作ってもらいました
 
そのとき、2月の定例会の前に退職してけじめをつけることしか、私に残された選択肢はありませんでした
 
処務規程によると30日前までに届出をすることとなっていたので、
 
約1ヶ月後に間に合う1月末をもっての退職を申し出る退職届を封筒に入れて局長に渡しました
 
果たしてそれが、責任のある行動だったかというと私にはわかりません
 
いずれにしても、普通ではない行動だと自覚はしていました
 
すると、局長は驚いた表情で
 
「ちょっと待て、なにも辞めることはないじゃないか。わかった、セミナーには行っていいから。この届出はとりあえずおれが預かる。」
 
と言ってくれました
 
その展開には、私も驚きました
 
 
あんなに難しかった議会中の休暇が、
その一瞬でとれることになりました

そのあと、
局長は私を呼び出してこう言ってくれました
 
「覚悟はよくわかった。あんなものを出されたのは、正直驚いたよ。あのあと、議長や副議長とも話して、休暇は認める方向で動いている。あとは、代替の職員については問題だが、そこは前任のKちゃんにお願いしようと思う。」
  
 
「ありがとうございます。私も、そのことについては、Kさんにお願いしようと思っていました。」
 
 
私の仕事の代わりについては、議会事務局の仕事に精通している前任者のKさんに相談しました

年齢も近く、私の前任の部署(税務課)とちょうど入れ替わりするかたちとなっていたこともあり、
 
前任者がいまどういう仕事を抱えているかや、税務課の仕事と両立しながら代わりを担ってもらえそうかをなんとなく推し量ることができました
 
無理を承知で、どうしても、今学んでおきたいことがあることを話してお願いすると、Kさんは快く受けてくださいました
  
また、局長は、そのあとこういう風に伝えてくれました
 
「1月末で退職するのは、なかったことにしてくれ。もしも、どうしても退職するのであれば、3月末にしてほしい。考え直せることならば、退職もしなくてもいい。」
 
私にとっては、とてもありがたいご提案でした
 
 
「退職をしなくてもいい」
 
 
すべての要望を叶えた上で、差し出された
この言葉には、少しだけ考えましたが、
 
すぐさま、
 
「いま、このタイミングを逃してしまったら、また随分先になるかもしれないし、この感覚の鮮度が落ちる前に、今決断する必要がある」
 
ということをハイヤーセルフが告げていました
 
肚の底から、後に引けない恐怖とドキドキが込み上げてきましたが
 
「ありがとうございます。3月末に退職する方向で、よろしくお願い致します。」
 
と、返答しました。
 

これから、未知なる大海原へ出ることになる
 
自分の冒険に対して、
いま、十分に理解してくれる人や
味方になってくれる人はいないだろう
 
たった1人で、
しかし、長く待ち望んだ
旅立ちのときを迎えたのでした
 
 
 
私は、教育委員会から本庁に移ってから、

「いつか退職するときには、庁舎を前にこのすべてに感謝して市役所を背にするんだ」
 
というイメージをいつも抱いていました
 
 
夕方の帰宅時に、庁舎を前に
 
「本当にありがとうございました」
 
と、心で言って、一礼して、
 
 
経験を積ませてもらったこと
 
給与をいただいたこと
 
学ばせてもらったこと
 
厳しくしてくれたこと
 
親切にしてくれたこと
 
 
すべてに対して、
 
胸いっぱいに感謝と共に庁舎を後にする
 
 
こういったイメージをいつも持っていました
 
 
そして、退職の当日、
 
私はそのイメージのとおり
 
感謝と共に、9年間お世話になった下田市役所をあとにしたのでした
 
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しばらくこういうことは、言えなかったのですが、
 
あのとき、自分の人生よりも、 仕事の役割を優先しなくて
 
本当に良かったと思っています
 

 
そうでなければ、 
いま東京で新しく出逢えた人たちとも
 
かけがえのない経験の数々も
 
味わうことがなかったのですから
 
もしかしたら、辞めたことを後悔するかもしれないと思ったことはありましたが
 
実際、後悔することは一度もありませんでした
 
 
もしも、あのとき私が事故にあって仕事に行けなくなっても、
 
きっと私の代わりはいたでしょう
 
 
現に、誰かに突然の不幸が起きたとしても
 
世の中は同じようにまわり
 
なんとかなってしまうのを見てきました
 
 
私のした選択は
 
決して正当化できることではないですし
 
評価されることでもないです

 
自分勝手な選択で、
 
周囲に迷惑をかけたのも事実だと思います
 
 
だけど、3年経って、

そのことで、職場が今も困ってるなんてことはないはずですし
 
職員としての代わりが入って、仕事は健全にまわっています
 
 
しかし、一方で、
 
「本来の自分で生きること」で周囲に与えられる恩恵というものは、その人にしかできないことでしょう
 
それに代われる人は1人もいないと思います
 

そう考えると
 
例えどんな理由があったにせよ
 
自分の人生よりも大切なものなんて
 
やはり存在しないのだと思うのです
 
 
 
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写真はトランクひとつで上京するとき
サプライズでお見送りしてくれた市役所の同僚たち
 
よき友人と先輩方に恵まれて、私は幸せでした