もうひとつのタブー
両親には「(大学のスクーリングで)大阪に行く」とだけ伝え
早朝、トランクを引きずり、こっそりと出かけました
行き先はアメリカでした
英語もろくに喋れなかったのですが、初めての英語圏の外国に、たった1人で旅立ちました
それは、私にとって、大冒険の始まりでした
私が当時、抱えていた秘密は、性別違和がひとつ(墓場まで持ってくつもりでした)
それから、もうひとつは、世間からみたらいわゆる"怪しい"セミナーに出かけていたことです
「自分とは何者か?」
「我々はどこから来て、どこへ行くのか?」
「死んだら意識は無になるのか?」
「宇宙とは何か?」
「宇宙の外側は存在するのか?」
当時は、ひたすら、それらを求めていました
就職して9年目、当たり障りなく、そこそこ満足していたように見せていた日々を変えたくて
まったく未知の新しい世界に飛び出すために、意を決して飛行機へ飛び乗ったのが、2012年9月のことでした
私にとっては、そのセミナーがきっかけで、
「市役所を退職し、心のことを深く探究する自分にぴったりな仕事に就く」
と決めることができ、その年度末に退職を迎える決意ができました
それから、何よりも、自分が知りたかった分野が、どんどん解明されていくことが、本当に面白くて仕方がなくなって、
さらに想像もしていなかった領域や世界があったことを知り、求めていたものが、すべてここにあったという感覚が得られました
求めていた"探求者"から、
研究する"探究者"へと態度が変わりました
2012年9月から、2015年2月までの間に、
8回も海外のセミナーへと出かけました
ここで相当、お金と労力を使い果たしました
セミナー代、旅費、ホテル代、滞在費
チャレンジするために、毎回、意識をストレッチするということを繰り返してきました
しかし、このことは、
なかなか人へは言えませんでした
「いったい、なににはまってるの?おかしくなったんじゃない?」
「クレジットカードを使ってまで、そんな大金はたいて大丈夫なの?」
「もっと現実的に生きた方がいいよ」
そんな風に言われたり、思われるんじゃないかと思ったりしたからです
また、どこを目指して何をしているかわからない私に対して、 両親からは、
「いつまでも行き当たりばったりで、好きなことをやっていたり、貯金しないでいると、老後苦労するよ」
「いいかげん、地元へ帰ってこい」
などと言われました
しかし、自分が選択したことに、後悔したことは1度もありませんでした
私にとって、ずっと待ち望んでいたスタートがやっと切れたこと
本当に学びたいと思っていた価値のあることを学べたこと
自分が生きたいように、やっと生き始めることができたからです
それは、これまで、自分の人生を生きている感覚がなかった私に、
本来の自分として、まったく新しい人生をデザインし、創造しなおすことが可能だということ、
「自分の人生は、自分で創ることができる」ということを確信させてくれました
そして、"意図的に生きる"ということを可能にしてくれたのです
過去のあらゆることを統合できたことも、大きな恩恵でした
そして、思いきって、外の世界へ飛び込んでからの3年半は、過去30年振り返った中でも、最も密度が濃く、エキサイティングで、
イキイキと、「自分を生きている!」という感覚を得ることができました
今後の人生で大きなリソースとなる大切な宝物を得たと思っています
しかし、そのあとに、私がとらわれてしまったことがありました
それが、私の中の自分を生きる上での最大のタブーとなりました
それは、
"恩恵を受けたそのネットワーク(団体)のミッションに自分も貢献しなければならない"
というところでした
しかも"特定したやり方"でいうところが、私にとっては大きなポイントでした
"これを独り占めしてはいけない、必要な人にこれを届けることこそが他者への奉仕であり、道である"
とか
"ここで得た恩恵を利用して、コーチングに活かすことは、他者を目覚めさせるのではなく、クライアントを自分に引きつけるというエゴがあって不純だ"
とか
"これを人に提供していくことが何よりもその人のためになるから、自分がコーチングをしてお金を得ることは良くないことだ"
とか
いろんな思い込みが芽生えてしまい、
(言われたわけではなく、本当に自分の単なる勝手な思い込みです!)
もはや、最初の目的であった、
「心のことを深く探究する、自分にぴったりな仕事につく」
というところが、ぼやけてしまい、
どこかいつも、自分がやりたいことや、
やることなすことを過小評価して見てしまっていたり、常に罪悪感を抱えていました
また、その反映を創り出していました
自分の人生を満たすことが完了していないのに、
エゴなんか捨てられるわけがない
そこからする他者奉仕なんてウソにしかならない
そう思いながらも、"エゴ"を正当化する恥ずかしさを感じてしまって、自分を貫くこともできず、
かといって、その団体にコミットすることを、自分のミッションと100%シンクロさせることもできず、
どっちにも振り切れない自分に嫌気がさしてしまい
いつも"中途半端な自分"というセルフイメージを根深く構築してきました
だけど、あるとき気づきました
整合された団体には、ただその団体の使命があり、それを全うしているだけなんだ
価値あるものを提供していること、そして、ミッションを貫くスタンスを決めていることは、むしろ、賞賛に値し、本当に並外れたことである
圧倒的に、その組織が見ているところの規模と、私が感じている抵抗は、領域が違いすぎて、
そもそも私がそれを摩擦に感じるかなんてあまり問題でなく、土俵が全然違うんだ
私の生き方に関して言えば、その団体に影響を受けるのも、(家を出るときに猛反対して許してくれなかった)父からの影響を受けるのも、さほど変わらないことなんだと気づいたとき
何かのせいで、「自分らしく表現させてくれない」とか、勝手に不自由を感じたりしていたことは、
ただ、ひとり相撲していたんだなと悟りました
最初から、私を捕えるものなんてなかったし、不自由を与えるものなんてなかった
むしろ宇宙には、そんなもの存在することすら出来なかった
何かを伝える人も、私のセッションを受けに来てくれる人も、
結局は、"私"という存在に引きつけられて来るのは変わらないし
"不自由さ"が存在するとすれば(それは人であれ、お金であれなんであれ)、自分の自信のなさゆえ、そこから逃げるために感じていた、その時には都合がよくて、必要だった感覚で、
何を伝えるか、何を使うかは実は問題ではなく
大切なのは、"私がやる"ってことなんだと
なぜか、昨日、
やっと、この感覚が掴めました。。。
月並みな言い方になってしまいますが、
私は、ずっと、何かを外側に身につけることで、
自信をつけようとしてきましたし
まだまだ足りないと感じていました
でも、やっと、自分の根源を感じ取り、
内側に流れるものの感覚と
それが外側のすべてへとつながっている確信を得られました
そして、足もとを見ることができました
まず、何もない自分を、逃げ出したくなる自分を
そばにいる自分が完全に認めてあげようと思いました
その上で、私は、この道を歩くと決めたのです