自分らしく最幸の人生を創造する生き方のススメ

高卒、性別違和、田舎の実家暮らしだった私が、本当の自分で生きると決めて、やりたいことしかやってはいけないルールのもとに行動に移した記録。得意なことはライフデザイン。本当の望みを実現するために、自分の本音を知っていくこと。それさえわかれば、勝手に道は開いてゆける。

ライフデザインメソッドと出逢うまで①

初めまして

渡邉あきです

 

私は、ごく普通の田舎の家庭に

長女として生まれ

地元の小学校、中学校、高校に通い

 

その頃は特に夢もなかったので

大学には行かず

実家に住みながら

 

地元の市役所に就職し

平々凡々な暮らしをしていました 

 

f:id:master25181:20160504175230j:image


収入や暮らしも安定しながら

特に大きな不満もなく

就職して9年が経とうとしていました

 

当時、27歳の頃でした


私は、その頃、悶々と

こんなことを感じ始めていました

 

 

「特に不満もなく、ありがたい環境ではあるのだけど、私の人生は、このままで良いのだろうか

 

 

「このまま、何も変わらず、60歳の定年まで、ここで毎日同じような仕事をして、人並みに結婚とかして、安定して暮らすことが、本当に幸せなのだろうか

 

 

思えば、私は、

親が勧めることを

そのまま受け入れてきました

 

市役所への就職もそうでしたし

大学へ行く必要もないし

実家から通えばお金も貯まるということ

 

将来は、

(海の近くだったので)漁業権を持ってる

人と結婚したりなんかして

 

実家の近くに暮らして

親孝行できれば良い

 

私もそれこそが

幸せなんだと思い込んでいました

 

しかし、私には、

実は、誰にも言っていなかった

重大な悩みごとがありました

 

もちろん、

親友や家族にも、本当に誰にも

言っていなかったことでした

 

 

それは、

心と身体の性別が不一致であること

 

 

本当は、女として生まれたけど、

女としてなんか、絶対に生きたくないと

心底思っていたことです

 

黒いランドセルを背負いたかったし

学ランを着たかった

 

お人形遊びよりもミニ四駆やプラモデルを

堂々と、思う存分楽しみたかった

 

それらも全部、我慢してきました

 

スカートをはくことを期待されました

女の子の遊びをすると周囲に喜ばれました

 

周りからは、男の子っぽい女の子だなとは

思われていましたが、

 

しょせん本音を偽った

ウソもんの私でした

 

心のうちをバラしてはいけない

本当に欲しいものを欲しいと言ってはいけない

好きなものも隠さなければならない 

 

自分は人と違っておかしいんだ

 

本音は恥ずかしいことだし

人から批難されかねない

 

みんなの期待にこたえたい

みんなに嫌われたくない

 

気持ち悪いと思われたくない・・

 

そう思うようになりました

 

そんな私が、

人が教えてくれる"幸せ"を迎合するのは、

簡単だったのだと思います

 

自分の好きなものを隠すかわりに、

好きになるべきものを教えてほしかったのでした

 

なので、ものの見事に、

絵に描いた餅のような"幸せ"を

受け入れて

そのとおりに生きようとしていました

  

そして、

市役所に勤めながら

キューバダイビングを楽しみ

休日には仲間とバーベキューをしたり

 

はたからみたら、とても

充実した日々を過ごしていました

婚約をした男性までいました

 

 

しかし、あるところで

プツンと糸が弾けるのを感じました

 

今ある生活をしながら

このまま進んだ10年後、20年後を

想像したとき

 

あまりにもつまらない、

退屈さを覚えました

身震いさえ起きました

 

これからの未来を、

他の誰でもない、

この私が経験しなければならない

そう思うと、へどが出ました

 

たしかに、今の生活は、

他の誰かにとったら幸せかもしれない

 

しかし、

偽りを重ねた自分からしたら、

今の生活を幸せだと感じるには

あまりにも自分に不正直

 

本当の自分は、

もっと外に出たがっていること

自分らしさを表現したがっていることに

初めて気づいたのです

 

 

私の人生、こんなもんじゃない、、

 

 

本当の自分で、

         自分が決めた人生を生きたい

 

 

心底そう願いました

 

そして、 

両親には、

「本当にやりたいことをやりたい」

という曖昧な思いを伝えたのち、

周囲の猛烈な反対を押し切り

 

こんな生き方、

誰からも理解されない

人に笑われてしまうかもしれない

 

それでも構わないといった

ひとりよがりな想いのままに

 

市役所を退職し、

その後、婚約も破棄

 

まだ、経験しえぬ"何か"を求めて

トランクひとつで上京したのは

 

今から3年前のことでした

 

 

肩書きも、資格も、経験も、

高卒で地方公務員となったということ以外、

何も持っていなかった私ですが、

 

未知に対して、

全く根拠のないワクワクと確信、

そして少しの恐怖を感じていたあの頃、

 

今思えば、それこそが

インスピレーションに満ち溢れた選択だったのかもしれません

 

 

そして、その頃の私は、

 

まだ、ライフ・デザイン・メソッドの存在を知りませんでした

 

 

続く